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自治体職員の読書ノート

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【1427冊目】魚津郁夫『プラグマティズムの思想』

プラグマティズムの思想 (ちくま学芸文庫)

プラグマティズムの思想 (ちくま学芸文庫)

アレクシス・ド・トクヴィルは、もともと哲学にはそれほど重きを置いていないアメリカ人が、にもかかわらず次のような4つの「哲学的方法」を身につけていると指摘したという(p.11)。

(1)体系を排すること
(2)眼前の事実を重視すること
(3)物事の理由を権威にたよらずに独力で探究し、結果をめざして前進すること
(4)定式をとおして物事の本質を見ぬくこと

もちろんトクヴィルがこの指摘をしたのはプラグマティズム誕生前だが、本書を読み終えて改めてこの発言に戻ってみると、その炯眼ぶりに驚かされる。さすがにアメリカを良く見ている。

アメリカに「思想」があるとすれば、その代表格がプラグマティズムであるとされている。本書はその概要をアメリカ思想の源流(エマソンソロー、トウェインら)にさかのぼり、そこからの流れでC・S・パース、ウィリアム・ジェイムズ、G・H・ミード、ジョン・デューイ、そしてモリス、クワイン、最後にリチャード・ローティまでを解説している。

分量はコンパクトだが、中身はかなりぎっしり詰まっている。なかでも充実していると感じたのが、難解で知られるパースの思想からポイントを取り出して明快に整理した第3章〜第5章だった。

さて、そのパースが提示したプラグマティック・マクシム(プラグマティズムの格率)が、本書の最初の方に紹介されている。この内容こそが、プラグマティズムを規定し、本書全体を貫く大きな柱なのである。それはこういうものだ。

「私たちの概念の対象が、実際的なかかわりがあると思われるどのような結果をおよぼすと私たちが考えるか、ということをかえりみよ。そのとき、こうした結果にかんする私たちの概念が、その対象にかんする私たちの概念のすべてである」(p.64)

つまり、個々の概念や意味は「結果」から見なければならないということだ。抽象的な概念を、ただ宙に浮いているのではなく、著者の言い方にならうなら「結果の中に完全にふくまれている」(p.65)ものとして考えていくわけである。

そしてパースといえば「アブダクション」である。これはよく「仮説形成」などと訳されることの多い概念だが、この概念がおもしろいのは「まちがい」の発生をそこに織り込んでいることだ。アブダクションによる示唆は、その真理性を疑問視することができ、また否定することさえできる示唆である」(p.122)とパースは言っている。

この「可謬性」は、他の思想家も含めプラグマティズム全体に摘要できる大原則のひとつである。それによると、真理とは、他からの異議を受けているうちは「仮のもの」であり、我々の知識や認識そのものもまた、必ずしも正しいとは限らない。「(真理の)発見にいたる第一段階は、自分はまだ十分な認識にはたっしていないのだ、ということをみとめることである」(同頁)

もっとも、ここで一足飛びに「絶対的な真理なんていうものは存在しない」とまでは、パースは言わない。あくまで絶対的な真理そのものは想定されているのだ。ただ、現実にそこまで辿りつくことはほとんど不可能であって、真理は一種の理想形、イデアとしてほぼ仮想的に存在するということらしい。

なんだかパースばっかりになってしまったが、他にも理性中心のパースに感情や情緒の心理学をぶつけたウィリアム・ジェイムズ(この人は「意識の流れ」なんてことを言い出した心理学者の草分けである)、自我論が非常に面白かったG・H・ミード、現代アメリカ思想を担うローティに至るまで、どれも読みごたえのある明快な解説となっている。

本書の最後、著者はプラグマディズムの特徴として「可謬主義」「多元主義」「探究・対話の継続」を挙げている。著者が指摘する通り、これはまたアメリカそのものがもっていた「古き良き」思想そのものである。

ところで気になるのは、当のアメリカがプラグマティズムの伝統を見失っているように思えることだ。911を経て、可謬主義は独善的な正義に、多元主義は一様なグローバリズムの押し付けに、探究・対話の継続は実力行使に。皮肉なことに、アメリカ生れの思想であるプラグマティズムを今一番必要としているのは、当のアメリカなのかもしれない。