自治体職員の読書ノート

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【1424冊目】河合隼雄『こころの処方箋』

こころの処方箋 (新潮文庫)

こころの処方箋 (新潮文庫)

河合隼雄のことばは、とてもやさしい。でも、実はとてもむずかしい。

「単純化」や「決めつけ」を、彼ほど嫌う人もめずらしい。決めつけるのは、そうすればラクになるからだ。そういうことをしないまま、人の相手をし続けることのほうが、ずっと難しくてしんどい。

河合隼雄は臨床家として「そういうこと」をずっとやり続けてきた。本書にはそのエッセンスが、絞りに絞って開示されている。

本書を処方箋として使うなら、目次をまずはじっくり眺めることをオススメする。55のタイトルの中で、必ずやいくつか「ドキッ」とするものが見つかるはずだ。その項目こそが「あなたが読むべき河合隼雄の処方箋」なのだ。

私の場合、まず「『理解ある親』をもつ子はたまらない」というフレーズで眼が止まった。読んでみると、親が子どもに生半可な「理解」を示してしまうと、子どもは親という壁にぶつかることができず、他の方法で暴走せざるをえなくなる(本書では下着ドロをやった中学生の例が挙げられている)、と言うようなことが書いてある。

さらに読み進むと「厳密に言うなら、理解のある親が悪いのではなく、理解のあるふりをしている親が、子どもにとってはたまらない存在となるのである」ドキッ。「理解もしていないのに、どうして理解のあるようなふりをするのだろう。それは自分の生き方に自信がないことや、自分の道を歩んでゆく孤独に耐えられないことをごまかすために、そのような態度をとるのではなかろうか」グサッ。

そしてとどめの一言。「子どもを理解することは、大変素晴らしいことである。しかし、真の理解などということは、ほとんど不可能に近いほど難しいという自覚が必要である」うわあ、参った。まいりました。ここが実は河合隼雄の真骨頂。実は第1章のタイトルは「人の心などわかるはずがない」なのである。

そのつながりで行くと、大きな山になっているのが20章。タイトルは「人間理解は命がけの仕事である」。この三章はみごとにつながっている。

しかし、なぜ人間理解は命がけなのか。それは「うっかり他人のことを理解しようとし出すと、自分の人生観が根っこのあたりでぐらついてくる」からなのだ。「実際に、自分の根っこをぐらつかせずに、他人を理解しようとするのなど、甘すぎるのである」。う〜ん。これはすっごく、わかる。相手が我が子であろうと妻であろうと、カンタンに「理解する」「理解している」なんて言えるものではないのである。

他の章の内容にこの調子で触れていると大変な長さになりそうなので、あとは備忘のために、気になったタイトルを列挙しておく。カッコ内は私の感想。それにしても思うのは、河合隼雄は「ウソの中に真実を隠す」名人であったということだ。さすがはウソツキクラブ会長である(ちなみに「うそからまことがでてくる」という章もあった)。

「100%正しい忠告はまず役に立たない」西原理恵子生きる悪知恵』を思い出した)

「100点以外はダメなときがある」(ここぞという時。でもその「時」を判断するのが難しい)

「男女は協力し合えても理解し合うことは難しい」(これも「理解」もの。でもよくわかる)

「自立は依存によって裏づけられている」(孤立と自立の違い)

「善は微に入り細にわたって行わねばならない」ウィリアム・ブレイクの言葉らしい)

「灯を消すほうがよく見えることがある」(これは至言。意味、わかりますか)

「うそは常備薬 真実は劇薬」(ただし常備薬も使いすぎると薬物依存になります、とのフォローも)

「心の支えがたましいの重荷になる」(この「心」と「たましい」を分けて考えるところが著者のすごさ)

「道草によってこそ「道」の味がわかる」(私は「道草」だけは自信あります)

「精神的なものが精神を覆い隠す」(これは深い。よく考えるべき言葉)

本書は単なる「癒し」の本ではない。むしろ厳しいこともしっかり書いてあり、しかしそこにはまちがいなく一片の真実がある。わかりやすい「正解」ではないが、遠くにぼんやり見える灯のような確からしさがある。

そこをひとつひとつ辿っていくうちに、われわれはいつの間にか行っていた「単純化」と「決めつけ」の束縛から解き放たれているのである。劇薬も毒薬もあるかもしれないが、しかしこれぞ言葉の妙薬。20年にわたり売れ続けたのも分かる気がする。