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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1407冊目】岸恵美子『ルポゴミ屋敷に棲む人々』

福祉・教育・医療

ルポ ゴミ屋敷に棲む人々 (幻冬舎新書)

ルポ ゴミ屋敷に棲む人々 (幻冬舎新書)

タイトルからは、ゴミ屋敷の住人は「自分とは違う」と言わんばかりのニュアンスが漂ってくるが、内容はまるっきり逆。読んでみると、誰もが多かれ少なかれ「ゴミ屋敷の住人」になりうることがわかるのだ。その意味でこのタイトルは、たぶん出版社がつけたのだろうが、ちょっとミスリーディング。

むしろキーワードは、サブタイトルにもある「セルフ・ネグレクト」のほうだ。ネグレクトとはもともと「無視」のことであり、転じて放置・放任といった虐待の一類型としても使われる言葉だが、これに「セルフ」がつくと「自分で自分を放任する」といった意味合いになってくる。

本書ではマリア・P・パブロウの定義が紹介されている。それによると(1)個人の、あるいは環境の衛生を継続的に怠る(2)QOL(Quality of Life)を高めるために当然必要とされるいくつか、あるいはすべてのサービスを繰り返し拒否する(3)明らかに危険な行為により、自身が危険にさらされる―こうした特徴をもつのが、セルフ・ネグレクトであるという。

重要なのは、程度の問題はあれ、こうした条件にあてはまる人は決して少なくないということだ。例えば喫煙は(3)に該当するのではないか。部屋を散らかしっぱなしにするくらいのことは、誰だって多かれ少なかれあるのではないか。サービス利用に関しても「家に他人を上げたくない」と言って介護サービスを嫌うお年寄りは、決して少なくない。だいたい「当然必要とされる」かどうかを、誰がどうやって決めるのか。

そう考えていくと、実はセルフ・ネグレクトにあたるかどうかについて、必ずしもきっちりとした線引きができるわけではなく、むしろその境目はきわめてグレーであることになる。実際、本書に挙げられている例を見ても、人はいきなり「ゴミ屋敷」に住み始めるワケではないことがよくわかる。

それまで掃除や片づけができていた人が、何らかのキッカケ(妻を亡くしたとか、腰を痛めたとか、認知症になったとか)で徐々に家の中が汚れだし、少しずつモノを捨てるのがおっくうになり、ゴミが積みあがるとトイレに行けなくなるのでそのへんのバケツなどに用を足し、風呂場も物置になってしまうので入浴もしなくなり……と、「徐々に」行動パターンが押し込められるように変化していき、気がついたら立派なゴミ屋敷のでき上がり、ということになる。本書にはそのプロセスが、ものすごくリアルに描写されている。「誰もがゴミ屋敷の住人になりうる」というのは、まさにここなのだ。

変化は少しずつ起きるので自覚はほとんどないし、気づいたら家の中がゴミだらけになっていても、いまさら外の人を入れるなんてみっともなくてできない。セルフ・ネグレクトが怖いのは、徐々に進行するのに加え、セルフ・ネグレクトがセルフ・ネグレクトを生むという悪循環にあるように思われる。

さらに拍車をかけるのが、日本人の高齢者にありがちな「依存と気兼ね、世間体を気にし、周囲に委ねて自己主張をしない」(p.142 津村智恵子らによる)という「悪癖」だ。そのため、近所の人や民生委員、役所の人間などが気にして声をかけても「大丈夫です」「サービスはいりません」とかたくなに干渉を拒み、事態をますます悪化させる。

だからこそ、今や日本の福祉サービスの偉大なるタテマエ「申請主義」は、ここではまったく通用しない。今の福祉サービスの多くは本人の意思を前提とした契約のカタチをとっているが、ある意味、その考え方こそがセルフ・ネグレクトを進行させてきたともいえる。だって本人が「サービスはいらない」というんだから、福祉サービスなんていらないでしょ? 家がゴミ屋敷だからって、本人が良ければそれでいいんじゃない? という、自己決定・自己責任の発想が、こういう状況を生んでしまったのかもしれないのだ。

ところがここで難しいのは、だからといって無理やりサービスを「押しつける」ことは基本的にできない、という点だ。即決は無理。すぐの解決は不可能。関係者にできることは、辛抱強く見守り、連絡先を渡し、人間関係の細い糸を絶えずつなぎ続けることなのだ。そこでは、たとえ拒否されても「「拒否」を拒否としてとらえて、それ以上手を差し伸べるのをやめてしまうのではなく、「拒否」は何かのサイン、「生命のサイン」「生きようとする叫び」ととらえることが必要」(p.179)と考える姿勢が必要となってくる。

多くの現場を踏んできた保健師としての「現場の知」が、そこには生きている。白と黒には割り切れないグレーの世界の中で、矛盾を抱えて踏ん張って来た経験が、本書には結実している。すばらしい。

だいたい、これは100%私見だが、はっきりいって、契約主義も自己責任も、福祉の現場には似合わない。だって福祉の本質とは「おせっかい」をどこまで貫徹できるか、ということなのだから。むしろ「おせっかい」が地域や社会から消えた代償が、セルフ・ネグレクトの増加であるのかもしれない。