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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1403冊目】伊集院静『いねむり先生』

せつなさ・いとおしさ・なつかしさ

いねむり先生

いねむり先生

若き日の著者と「いねむり先生」こと色川武大阿佐田哲也との交流を描いた一冊。

読めば読むほど、とにかく「先生」の人柄に惚れてしまった。やさしく、温かく、かわいらしく、何もかも分かっていながら、何も言わず包んでくれるような広がりと深さがある。著者のいう「チャーミング」という形容がこれほどぴったりあてはまる人もいない。

人の弱さをこれほど知りつくした人はいないのではないかと思える。自身も弱さをさらけだし、無防備に人前で眠る(「先生」はナルコレプシーという「眠り病」なのである)。自分の弱さは隠さないが、人の弱い部分には決して踏み込まない。先生と言われ、作家としての地位を確立している人物なのに、この長い小説のなかで、「先生」は一度も上から物を言ったり、エラそうに説教を垂れたり、人の内面にずかずか踏み込んだりしない。

そんな「いねむり先生」に出会ったのが、主人公の「サブロー」(明らかに若いころの著者自身)は、妻を亡くして自暴自棄になり、身を持ち崩している。そこに現われたのが「いねむり先生」こと色川武大だった。

二人は妙に意気投合し、お互いに共鳴し、共振しあっていく。それも、サブローが「先生」に惹きつけられていくだけではなく、「先生」のほうもサブローを「ともだち」と読んではばからず、二人っきりのギャンブル旅行にも行ってしまう。あの色川武大が、である。

とにかく似た者同士なのである。お互いが弱さを抱え、世界に怯え、自分のなかの狂気におののいている。しかもその二人が、サブローのどん底の時期に出会い、そして「先生」とともにあることで、ただ一緒に車券を買い、酒を飲み、わずかな言葉を交わすだけで、少しずつサブロー自身が持ち直していく。これを運命の出会いと言わずして、なんと言うべきか。

すばらしいエピソードがいろいろあるのだが、一番好きなのは、色紙を頼まれた先生が「贋雀聖」とそこに書くくだり。そこに先生の照れくさそうな顔つきと、控えめな人柄と、いたずらっぽい茶目っけが透けて見える。「雀聖」と書かれた色紙はいらないが、「贋雀聖」と書かれた色紙は欲しい。

そういえば、雀鬼桜井章一は、阿佐田哲也の麻雀を「騙し合い・化かし合い」と厳しく批判していた。たしかにそれはそうであろう。しかしその奥には、単に人を陥れて勝とうとする醜い根性だけではなく、そうせざるをえない人間の弱さを受容するまなざしが光っているように思われる。

同じ麻雀打ちでも、桜井章一は強さを極めた人物だったろう。しかし阿佐田哲也は、人としての弱さをそこに極めた(というのはおかしいかもしれないが)人物であったのかもしれない。弱さの魅力こそ、いねむり先生の魅力であるように、私は感じた。

そして伊集院静もまた、同じ道を辿りつつあるように思われる。この人のまなざしもまた、人のもつ根源的な弱さを温かく見つめている。いねむり先生にはなれないかもしれないが、そのもっとも大切な何かを、この人はしっかり受け継いで今に至っているような気がする。