【1387冊目】ジョージ秋山『貝原益軒の養生訓』
- 作者: ジョージ秋山
- 出版社/メーカー: 海竜社
- 発売日: 2010/02/11
- メディア: 新書
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江戸時代に書かれた「養生訓」から163の訓えをピックアップした一冊。ジョージ秋山さんのマンガとシンプルな現代語訳で、貝原益軒の「訓え」がストレートに入ってくる。
こういう本に手が伸びるようになってきたのも、自分が中年にさしかかり、いろいろと体調管理が気になってきたためなのだろうか(それとも、こないだの健康診断でちょっとヤバい結果が出たから?)。とはいえ読んでみると、いやいや、これは若いうちから知っておくべきだった、という気がしてくる。なぜなら本書で説かれている「養生」とは、つまりは生きることそのものであるからだ。
たいせつなのは、自分の生を素直に見つめ、自分が限られた寿命を生きる存在であることを自覚すること。それによってはじめて、自分の生をいとおしみ、大切にしようという気になってくる。養生なんてジジイのやることだ、と思っていた私には、とくに次の第17訓と第38訓がグサリときた。
「人の寿命とは短いものだ。
その短い寿命を養生の道を行わずに
さらに縮めるのは愚かの極みだ」(第17訓)
「人の欲望には限りがないが、
人の生命には限りがある。
限りのない欲望に
限りのある生命力を使うのは間違っている」(第38訓)
要するにこれって「メメント・モリ」ではないだろうか。死を想定し、そこから逆算して自身の生をデザインすること。それはブッダからハイデガーまで、古今東西の思想家や宗教家が形を変えて言い続けてきたことである。そんな中、貝原益軒の凄みは、それを抽象的で小難しい「思想」としてではなく、誰にでもわかるような「技法」や「心構え」として具体的に伝えようとしているところだ。
そんな本書によれば、養生の秘訣は、心を静かに保ち、性欲や食欲をほどほどに抑え、怠けず体を動かすこと。もちろん、言うのはカンタンだが、これを実行するのはむずかしい。マンガの中で「黒ひげ先生」が言うように、養生の道なんて「あたりまえのこと」ばかりなのだ。でも、この「あたりまえのこと」をやりつづけるのが、実は一番難しい。
本書はそういう意味では、徹頭徹尾「ふつうの」ことばかりが書かれている。もちろん江戸時代と現代で違っているところはいろいろあるが、根本のところはおそらくあまり変わらない。むしろ「養生訓」のエラさは、とにかく「ふつうのことをふつうに」言い続けた点にある。現代の多くの「健康ノウハウ本」と本書が決定的に異なるのは、まさにその点なのだ。
一方で本書は、食事の作り方から眠り方、セックスの仕方まで「実用性」にも富んでいる。食べ過ぎや飲み過ぎをいさめるコトバはたいへん耳に痛いし「寝返りは5回まで」なんていう「大きなお世話」もある。そうそう、大きなお世話といえば、第146訓はこんなことまで書いている。
「男女の交接は、二十歳で四日に一度、三十歳で八日に一度、四十歳で十六日に一度、五十才で二十日に一度がよい。
六十歳以上の人はしないほうがいい。
体力のある老人ならば、ひと月に一度。
人それぞれに体力や体調の違いなどあるから、
すべてこれが正しいというわけではない。
また二十歳前のものはまだ体が成長していないので、
回数が多いと身に悪い影響がある」
ホントに大きなお世話である。
ちなみに、私が一番印象に残ったのは、次の短い第32訓だ。一見カンタンだが、なかなかに含蓄がある。
「病になったら病人になりきらなければならない。
それが養生の道である」