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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1384冊目】鴻巣友季子『翻訳教室 はじめの一歩』

情報・イメージ・ことば

翻訳教室―はじめの一歩 (ちくまプリマー新書)

翻訳教室―はじめの一歩 (ちくまプリマー新書)

読むことをどんどん、どんどん深くしていくと、やがて「翻訳」に至る。従って、翻訳について知ることは、読書のもっとも深い部分を知ることでもある。

私が勝手に言っていることではない。著者は「翻訳というのは、「深い読書」のことです」(p.12)と書いている。だから「よく読めれば、よく訳せる」(p.13)。逆に言えば、よく訳せないということは、よく読めてはいないということになる。う〜ん、キビシイ。

本書はNHKの名物番組「課外授業 ようこそ先輩」での授業がベースになっている。小学6年生を相手に翻訳の授業をするということ自体、相当の無理難題であるが、著者はさらにそこにとどまらず、翻訳の本質、ひいては読書の本質を本気になって伝えようとしている。

選んだテキストはシルヴァスタインの名作絵本「The Missing Piece」。一見カンタンに見えるが、いやいや、こういうシンプルな作品ほど、実際はてごわいのだ。だいたい最初の一文「It was missing a piece」がべらぼうに難しい。Itをどう訳すか? missはどうする? いったい、小学校6年生の生徒さんたちはどう訳したと思いますか。

英文法の基礎すら知らない彼らであるが、だからこそ大胆に物語の本質に斬り込み、意訳する。意訳なんて英文和訳の授業では「禁じ手」だろうが、翻訳では意訳こそが重要だ。一つ一つのコトバをそのまま日本語に置き換える英文和訳と、文章そのもの、作品そのものの核心に迫る翻訳の違いを、生徒たちは最初から心得ているように思える。

翻訳は英文和訳の延長ではなく、まるで異質なものであると著者は言う。翻訳とは、想像力の限界を超え、その枠を広げること。他人になり切り、そしてまた自分に戻ってくること。それはまた、冒頭で書いたとおり、読書そのものの本質でもあるのだ。そういう読み方をしていると、本が自分に合わせて変わってくる、と著者は言う。

「本というのは、物としてはこういう四角い決まった形をしてるけど、みんなの頭のなかに入ったら、どんどん姿や意味を変えていきます。こうやってめくって読むのだけが本ではないんです。記憶のなかで何回も何回も読むから、どんどんおもしろくなる。本を読むのって、じつは本の内容を読み換えていくこと。もっと言えば、心のなかで書き換えていくことなんです。これも一種の翻訳かもしれないですね」(p.134)

さらっと書いてあるが、これって、実はとんでもなく大事なコトだ。読書論の核心ではないかと思う。もっとも、先生にただこう言われただけでは、小学校6年生の彼らには伝わらないかもしれないが、「The Missing Piece」の翻訳に四苦八苦するなかで深い深い読書体験をくぐり抜けた後だけに、案外ストンと腑に落ちたのではないだろうか。

他にも言語消滅の問題、外国語を学ぶ重要性についても触れられており、案外射程の広い一冊でもある。それにしても、こういう「授業」の可能性に気付いたNHKの中の人は、実にエライ。放映を見逃したのが残念だ。

The Missing Piece