自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1376冊目】ヘルマン・グラーザー『ドイツ第三帝国』

ドイツ第三帝国 (中公文庫)

ドイツ第三帝国 (中公文庫)

ナチス・ドイツが創り上げたドイツ第三帝国ほど、世界史の上でわかりやすく「悪役」となった国家は、そうはいない。

民族主義バリバリの偏った思想から悪質で確信犯的なプロパガンダ、ヨーロッパ全土を戦火の中に叩き込んだ侵略行動からユダヤ人の「絶滅計画」まで、たしかにそのやることなすこと、弁護の余地のない邪悪さに満ちている。あまりに「悪すぎる」ので、なんだか誰かが考えだした「悪の帝国」のお話みたいにさえ思えてくる。

しかし、これは間違いなくリアルに存在した国家なのだ(しかもわりと「最近」に)。しかもその行動は、一つ一つ見ていくと、実は決して珍しいものでも例外的なものでもない。異民族の排斥は多くの国家で見られるし(最近はルワンダの大量虐殺が記憶に新しい)、侵略戦争は帝国主義の時代まではありふれた行動だったし、独裁も大衆の熱狂を引きだすプロパガンダも、ナチスがはじめてというわけではない。

本書はナチス・ドイツが築き上げた第三帝国を、思想、宣伝、芸術政策からユダヤ人差別・虐殺まで、内側からの目線で描写した一冊なのだが、恐ろしいのは、いろんなところで「どこかで見た光景」に出くわすことだ。特に戦時中の日本とナチスは、民族第一主義や思想統制、文化・芸術への抑圧など、気味が悪いほどやっていることが酷似している。文化大革命ポルポトカンボジア、あるいはフランス革命直後のフランスにも、ナチズムの幻影を感じることができる。

もっとも、本書は別にそういう比較をしているわけではなく、ただひたすら徹底してドイツ第三帝国をめぐる「事実」と「思想」をていねいに記述している。特徴的なのは、当時のヒトラーやゲッペルズらの言葉、新聞記事や小説の引用などをふんだんに盛り込んでいる点だ。後知恵で今になって読むと、荒唐無稽でアホらしい内容ばかりなのだが、さっきも書いたとおり、戦時中の日本だって似たような新聞記事やパンフレットがゴロゴロしていたのである(いや、現代のマスコミの記事だって、たぶんそうだ)。

しかも、ナチスの幻影は今に至るまで消え失せてはいない。特にゲッペルズを中心に行われたプロパガンダの数々は、現代日本のどこぞの地方自治体の首長さんの言葉や行動(や、それを嬉々として取り上げるマスコミ)に重なりあうものがある。

本書にいわく、人間を感情的で興奮しやすい「集団」に変えるには「憎悪感こそ最適のものにほかならない」(p.91)。さらに引用するとヒトラーによれば、大衆は自由、寛容、人間性を受け入れる感情をもたない。(略)彼らの受容力はわずかである。従ってもっとも効果的な宣伝は、目標をわずか数点にしぼって、それを徹底的に叩きこむことである。宣伝家の意志と力、それにヒステリーが、大衆の熱狂度を規定する、というのである」

そういえば最近の日本でも、「郵政民営化」一点を徹底的に叩きこんだ首相や、公務員批判や都構想、減税を一点主義で連呼して人気を集めた首長がいました(います)ねえ。別に彼らを第二のヒトラーと呼ぶつもりはないし、そんなことをしたってしょうがないと思うのだが、「歴史に学ぶ」必要性ぐらいは、そろそろもう一度思い出しておいたほうがよいのかもしれない。本書の次の言葉は、まさしく「今」ナチス・ドイツを知ることの意味を伝えてくれている。

「歴史的現象としてのナチズムは、過去のものであり、同じかたちではふたたびあらわれてこない。しかし、人間と、神によって人間に与えられた尊厳とを軽視し蔑視するとともに、暴力とテロによって、もはや価値秩序を知らない非人間化された集団のために、人間の道徳と精神的・心的な生活とを破壊するような世界観―こういう世界観は、あれこれのかたちで、いつまでも「現実の脅威」として残るであろう。第三帝国はまったく悪の見本であり、人間存在の危機一般に対する、おそろしくはあるがどうしても必要な研究材料である―「ヒトラーはわれわれのうちに住んでいる」のだ」(p.14)