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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1370冊目】ピーター・F・ドラッカー『「経済人」の終わり』

「経済人」の終わり―全体主義はなぜ生まれたか

「経済人」の終わり―全体主義はなぜ生まれたか

「マネジメントの神様」「経営学の泰斗」ドラッカーの処女作。だが内容は経営や経済ではなく政治、それも全体主義に関するものだ。ドラッカーの出発点が全体主義論であると最初知った時はびっくりしたが、読んでみると、むしろ古典的な経済学の終焉を綴った本書こそが、ドラッカーの原点であることがよくわかる。

経済人(ホモ・エコノミクス)という概念を最初に示したのは、かのアダム・スミスであった。「つねに自らの経済的利益に従って行動するだけでなく、つねにそのための方法を知っているという概念上の人間」(p.48)という意味だという。

もちろんこれ自体は、あくまでひとつの概念にすぎない。しかし、資本主義も社会主義も、人間の本性を「経済的満足を追求する存在」と想定し、その上に理論を積み上げてきた。それはまた、人間は合理的に行動するというある種の信頼を基盤とすることでもあった。

本書によれば、こうした「経済人」という想定は、第一次世界大戦と恐慌によって破壊された。合理によっておおわれた世界に裂け目ができ、そこから不合理という魔物が飛び出してきた。経済的自由は社会的価値を失った。だが、その次に来るべき新たな人間像、新たな理念は存在しなかった。

その空隙にすべりこんできたのが、実はファシズムであり、ナチズムであったのだ。しかしそれは、新たな理念や価値観を提示するものではなかった。著者はファシズムの特徴を、次の3つにまとめている。(p.14)

1 ファシズムは、積極的な信条をもたず、専ら他の信条を攻撃し、排斥し、忌避する。
2 ファシズムは、ヨーロッパ史上はじめて、すべての古い考え方を攻撃するだけでなく、政治と社会の基盤としての権力を否定する。すなわち、その支配下にある個人の福祉の向上のための手段として政治権力や社会権力を正当化する必要を認めない。
3 ファシズムへの参加は、積極的な信条に代わるものとしてファシズムの約束を信じるためではなく、まさにそれを信じないがゆえに行われる。

つまりどういうことかというと、ファシズムは徹底した「否定」と「負」だけによって構築されたイズムなのだ。自らは何も示さず、もっぱら敵を否定し、排除することで成り立っているのがファシズムである、と言ったほうが分かりやすいだろうか。

なお、特に3つめが捉えにくいと思うのだが、この点については本書の後半で具体的に解き明かされている。

引用すると「…こうして、全体主義国の大衆が耐えるべき緊張の度合いは高まっていく。大衆は心底不満であって、絶望し、幻滅している。しかし、まさに不満を持ち、幻滅しているからこそ、全力をもって全体主義への信仰を深めていかざるをえない。今手にしているものを失うならば、何が手元に残るというのか。彼らは、体に悪いことと知りつつ、夢幻と忘却を求めて麻薬の量を増やす麻薬中毒患者と同じである」(p.222)

なんとも手厳しい指摘であるが、こうした特徴を理解することこそ、実はナチスユダヤ人迫害を理解するためのカギなのである。著者によれば、そもそも当時のドイツ社会では、ユダヤ人差別は他の国より少なかったという。また、ユダヤ人が各国で迫害される最大の要因は、金融業の担い手であってブルジョワジーといったイメージによるところが大きいと思われるのだが、実際のところ、当時ブルジョア資本主義の担い手となっていたのは、ユダヤ人よりむしろキリスト教徒の有産階級であった。

おそらく、もともとナチスは恐慌や経済不安を引き起こした有産階級を攻撃の対象とするつもりだったのではないか。しかし、有産階級全体が否定の対象となってしまうのでは「わかりにくい」。むしろ人種としてのユダヤ人を敵視するほうが、ナチスにとっては「合理的」なのだ。人種差別は最初からあったのではなく、むしろある種の「すりかえ」の結果として、人為的につくり出されたと見るべきなのである。

ナチズム反ユダヤ主義は、ブルジョア階級の秩序や人間観に代えるべき肯定の概念を構築できなかったことに起因する。階級闘争に走るわけにはいかないナチズムとしては、別の観点からブルジョア資本主義と自由主義を攻撃せざるをえない」(p.206)

すでに書いたとおり、ファシズムの特徴は「否定」にある。もっと言えば、ファシズムは誰かを否定し続けることなくして存立すらできない。ナチズムは、悪魔の化身、第三帝国にとって和解しえない敵としてのユダヤ人抜きには自らを正当化できない」(p.208)のだ。この「敵を作り、攻撃し、否定し続けることで支持を得る」スタイル、最近の日本でもよく見るやり方ではないだろうか。誰とは言わないけど。

さて、他にも本書はナチズムを中心に、その経済政策や社会政策などを詳細に解説しつつ、内側からその正体を暴くものとなっているのだが(ちなみによく言われる「全体主義」「ファシズム」「ナチズム」の違いについては、本書ではそれほど意識されていないように思われる)、驚くべきは本書が書かれた時期である。この本は、1933年から37年にかけて、つまりヒトラーの首相就任からポーランド侵攻前年までの間に「リアルタイム」で執筆されたのだ。

つまり第二次世界大戦は始まってもおらず、ユダヤ人のホロコーストも起こっていなかった時点で、現在進行形でナチス・ドイツを分析した一冊なのである。まったく、なんという洞察力、なんという分析力であることか。しかもその著者であるドラッカーは、この時まだ20代の若者であったのだ。

ちなみに本書の最後の最後には「経済そのものは、完全雇用をはじめとする非経済的な目的に従属させるべきである」という文章が登場する(p.260)。後のドラッカーの思想の根幹が、すでにここに芽吹いているのが見て取れる。