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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1360冊目】ギュンター・グラス『ブリキの太鼓』

主人公はオスカル・マツェラート。父の食料品店を継ぐのがイヤで、わざと階段を転げ落ちて頭を打ち、身長94センチ、3歳のまま成長を止めてしまう。しかもこのオスカル、ブリキの太鼓を片時も離さず、しかも声だけでガラスを割るという「特技」の持ち主ときているのだ。

こんな異様な主人公、見たことない。本書はこのオスカルの半生を、オスカル自身の「語り」で綴っていくという小説なのだが、この「語り」がまずもって、あやしい。いわゆる「信頼できない語り手」というのとはちょっと違うが、どうしたわけかこの語り手、語るにあたって「ぼく」と「オスカル」という主語を、意識的かつかなり周到に使い分けるのだ。

その基準はよくわからないが、イメージとしては「オスカル」という外側のなかに、主体としての「ぼく」がいるような印象。「オスカル」という時には、視点がやや外に出ている、というか。そのため、読んでいると、語り手である主人公の姿が常に二重写しになっているような奇妙な感覚に包まれっぱなしなのだ。

そしてまた、本書ほど「五感」に訴えてくるものが多い小説も珍しい。「視覚」は現実とイマジネーションがないまぜになった不思議な光景であり、「聴覚」はむろんのことオスカルが常に叩いている太鼓のリズム。「味覚」は時々登場する料理のやたらに細密な描写(特に「馬の首から取ったウナギ」の描写はすさまじい)、「触覚」はなんといっても衣類、特にスカートの感覚だ。

しかし、本書でもっとも特徴的なのは「嗅覚」つまり匂いの描写だと思われる。スカートの中の(つまり女性のアソコの)匂い、オスカルが好きなヴァニラの匂い、料理の匂いから街路の匂いまで、とにかくやたらに匂いに関する描写が「鼻に」つくのだ。そして、思うに匂いとは常に、細部のディテールである。この小説はそこをいろんな感覚を通して描き込むことで、尋常ではない厚みと深みをたたえている。

それだけではない。本書は、オスカルという「オトナ子供」の目を通したグロテスクな《裸の王様》であり、オスカル自身が子供特有の「無邪気な悪」を体現しているという意味で、都市ダンツィヒを舞台にした《蠅の王》であり、ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスター』を裏返しにしたアンチ成長譚であり、ピカレスクであり、ブラック・ユーモア小説であり、ナチス・ドイツ支配下のポーランドという過酷な状況を描いているという意味では戦時小説でもあるのかもしれない。だいたい、オスカルの愛読書はなんと「ゲーテ」と「ラスプーチン」なのである。今思えば、この二冊がオスカルのすべてを暗示していた。

本書はなかなか手ごわい小説である。細部が突然巨大化した抽象画のように展開し、信頼できない「語り」が読者を惑わせ、にもかかわらず肝心なところはさらっと暗示されるため、注意深く読んでいないとたちまち迷路にはまりこむ。しかも、めっぽう分厚い(二段組みで500頁以上)。しかし、その奥に待っているのは、ギュンター・グラスが手によりをかけてつくったグロテスクでシュールな、しかしどこかにしっかりと実在しているに違いない、不思議なフシギな世界観なのである。