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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1346冊目】小田嶋隆『小田嶋隆のコラム道』

読む・書く・話す

小田嶋隆のコラム道

小田嶋隆のコラム道

ミシマ社ホームページでの連載がもとになっている。この連載がムチャクチャ面白く、ずっとたのしみに読んでいたのだ。この「読書ノート」の書き方も、そこから相当の恩恵をこうむっており、著者には足を向けて寝られない。

ここまで書いていいんだろうか、と心配になるくらい、書き手の舞台裏をセキララに晒し、裏事情をバラしているのだが、その奥底から立ちあがってくる著者の「文章術」の幅広さと底深さはとんでもない。おちゃらけた調子とダジャレ連発のなかに、ものすごく大事な「文章術の奥義」がさらっと書いてあったりするので、読んでいてもとにかく油断できないのだ。

そして、今回、活字になったものを通読してあらためて思ったのは、文章を書くという行為がいかに矛盾や逆説に満ちており、著者の言い方にならうなら「ダブルバインド」だらけのものであるか、ということであった。

例えば、文章を書くモチベーションは「書きすぎると枯渇するが、書かなくても枯渇」し、文章を書く際は「コツンと当てつつフルスイング」せねばならず、書き手は「創造者であると同時に批評家」であるべきで、しかも、こうしたダブルバインドのもたらす「負荷」こそが、実は「コラムをコラムたらしめている」というのだから、これは書くほうは大変である。

実は、本書にはかなりややこしくてパラドキシカルな説明が頻出するのだが、不思議と読んでいてそれほど難しそうに感じない。おそらくその理由は、著者自身の文章力のタダゴトでない「巧さ」にある。あまりに巧すぎて、なんだか文章の書き方が読んだだけで身に付いたような気がしてしまうのだ。しかし、いやいや、それは甘い。著者は確かに文章術の「奥義の書」をチラ見させてはくれているが、それを自分のものにするには、書くという「実戦」の絶対的な量が不可欠なのだ。

ヘタなりにこうやって一定量の文章を書きつづけていると、著者の言っていることは本当に骨身に沁みてよくわかる。何より、単に「書くため」の方法にとどまらず「書きつづける」ための方法を示してくれているのがありがたい。例えば「枠組みがあったほうが書きやすい」「書き出しより結語」「ノッているときは一気に書く、ただし推敲は絶対必要」「推敲は、時間をおくことこそ重要」などなど。当たり前と言えば当たり前だが、その当たり前をここまで方法として整理し、自覚するとなると、これは簡単なことではない。

それ以外にも、とにかく本書は「珠玉のフレーズ」に事欠かない。例えばこんな具合だ。ここにピンとくるかどうかが、ある意味書き手としての「分かれ目」かもしれない。

「文章を書くという過程を通じて、人は、はじめて論理的にものを考える習慣を身につける」

「書くためのモチベーションは、書くことによって維持される」

「良い文章は、95パーセントの普遍性に5パーセントの個性」

「技巧に走らない人間は技巧を身につけることができない」

「「文体」は「奥義」でも「極意」でもない。結果にすぎない」

「文体を歩き方になぞらえるなら、主語は靴に相当する」

「紋切型には「何も考えない」という偉大な知恵が宿っている」

「技巧は、機械的に身につけるものだ。そして、その機械のように正確な技巧が、繊細な創造のための道を開くのである」

本気でオススメしたくなる「文章術の本」なんてめったにないが、本書はそんなレアな一冊。この値段で文章術の奥義が手に入るのだから、安いものである。