自治体職員の読書ノート

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【1335冊目】ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ作/ハリー・クラーク画『ファウスト』

ファウスト (挿絵=クラーク)

ファウスト (挿絵=クラーク)

この「読書ノート」でファウストを取り上げるのは2回目。しかし、今回読んだファウストは、そのへんのとは一味違う。

まず注目は挿画のハリー・クラークだ。そもそも私がこの本を手に取ったのは、ほとんどハリー・クラークの挿画を「見る」ためだったと言ってよい。それほどにこの人の絵はすばらしい。幻想的で怪奇と狂気に満ちた、それでいてどこか気品を感じさせる画風は、「ファウスト」というこの無類の作品とどんぴしゃりの相性だ。酒場の庶民たちから魔女たちの饗宴まで、多彩で豊穣なゲーテ&クラークの魅力が存分に楽しめる。特にカラー刷りのイラストがいくつも含まれていたのには感動した。すばらしい造本だ。

そして、ジョン・アンスターの英訳を下敷きにしたという荒俣宏の翻訳がおもしろい。英訳本を元にしたのはハリー・クラークの挿絵本が英訳本だったためとのことだが、結果的には、えらく親しみやすく刺激的な翻訳になっている。例えば一番「古い」訳である森鴎外訳と比べてみると、こんなに違うのだ。

(鴎外訳)
良家の処女「ちょいと、あの書生さん達を御覧なさいよ。誰とでも御交際の出来る立派な方なのに、女中の跡なんぞに附いて行って、まあ、なんと云う恥曝しな事でしょう」

(荒俣訳)
町娘「あそこの男の子、イケメンよね――近くにいる子も悪くないけど! あの子たちなら、どんな女の子も選び放題かも。でも、なに、えー、ひどーい。メイドなんかのお尻をおっかけてっちゃった」(p.81)

(鴎外訳)
ファウスト「そして逢われるのか。手に入れられるのか」

(荒俣訳)
ファウスト「会えるか? ヤレるんだな?」(p.259)

(鴎外訳)
メフィストフェレス「兎角小さい頭だと云うと、一寸出口が知れないと、すぐに死ぬることを考えたがる。なんでも我慢し通す奴が万歳です」

(荒俣訳)
メフィストフェレス「しかし経験の浅い連中は、ちょっとでも予想しないことが起こると、すぐに破れかぶれになっちまうなあ。なにしろ遊んだことがないし、当然だけどプロポーズもしたことがない。目の前の欲望にびっくりして、全身がカチンコチンになっちまう。もっと大胆になれって。そうすれば成功間違いなし。おのれの運命を見据えて、雄々しく反りかえれ! しかしセックスのワザはソフトにいこうよ」(p.348)

まあこんな具合で、最後の例などほとんど「超訳」状態であるが(英訳版が暴走しているのか、はたまた荒俣宏が暴走したのか、気になるところだ)、とにかく読んで面白いこと、これまでの「古典」扱いされてきたファウストとはまったく違うファウストが読めることは保証する。以前「ファウスト」にザセツしたことのある人にこそ読んでもらいたい一冊。なお個人的には「マルガレーテ」が「マーガレット」になっているのだけは、最後までなじめなかった(人名まで英語表記にするのは英訳本全般の悪いクセだ)。それと、本書に収録されているのは(おそらくハリー・クラークの挿画本のオリジナル自体も)第一部のみなので、ご注意を。