自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1330冊目】ジェフリー・サックス『貧困の終焉』

貧困の終焉―2025年までに世界を変える

貧困の終焉―2025年までに世界を変える

全人類の6分の1が、生存のため必要な最低限のもの(食料、水、医療、衛生など)さえ得られない「極度の貧困」におかれている。その9割以上が東アジア、南アジア、サハラ以南のアフリカだ。さらにアジアではその人数は減っているのに対して、アフリカでは増え続けているという。

こうした極度の貧困を終わらせるため必要なのは、生存に必要なものを与えるとともに「経済開発の梯子を自力で上れるように手を貸すこと」(p.65)であると著者は言う。貧困から抜け出しつつある国々(特にインドやバングラデシュ)が、まがりなりにも経済成長のレールに乗っかっているのに対して、極度の貧困に置かれた人々には、その「梯子」の一番下の段にさえ手が届かない状況にある。したがって重要なのは、まずは経済成長のスタートラインに彼らをつけてやることだ。そうすれば後は、自然と経済成長が達成され、彼らは貧困から抜け出せる。

なんだかずいぶん楽観的というか、経済成長を万能薬のように捉えすぎであるような気もするが、こうした考え方の背景には、著者自身がボリビアポーランド、ロシアなどで積み重ねてきた経済開発の実績がある。著者はこうした国々の経済発展をサポートし、さまざまな「改革」に加わってきた、つまりは経済開発問題の第一人者なのだ(もっともナオミ・クラインあたりに言わせれば、著者もまたショック・ドクトリンの担い手の一人ということになるのかもしれないが)。

さて、著者がサハラ以南のアフリカに初めて足を踏み入れたのは1995年のことだったという。そこで直面したのはすさまじい貧困、エイズマラリア、そしてアフリカの貧困に対する、アメリカをはじめとした先進各国の無知と偏見であった。著者はそこで10年間奮闘し、一つの見解を導き出した。すなわち、アフリカの貧困を終わらせるのは可能である、ということだ。

そのために必要なのは、彼らを貧困の罠から脱出させ、経済成長の「梯子の一番下の段」に手をかけさせるための投資である。そしてその額は、なんとすべて足しても「高所得社会のGNPの0.7パーセント」にすぎないのだ。したがって問題は、わずかこれだけの額の投資を、アメリカをはじめとした「先進国クラブ」が出し渋っているという事実のほうにある。彼ら(日本も含めて)はイラクに爆弾を落とすためにはその数倍の支出をあっさり決定するくせに、貧困とテロの循環の根を絶つための取り組みには財布の紐を締めるのだ。

さて、本書で書かれている「貧困」は主としてアフリカのものであるが、国内の「貧困」を考える際も、著者の考え方は応用できるように思われる(この間読んだ『働きながら、社会を変える。』もまさにその実践の一例である)。特に参考になるのは、貧困からの脱却のゴールを「自力でお金を稼げる」ところに置くという考え方、そして貧困問題へのお金の投入を単なる慈善ではなく、一種の「投資」として考えるという発想だ。

もちろん実際には「同じスタートライン」につければよいと言うものでもない(本書に疑問符をつけるとしたら、このへんの認識がいささか安易なような気がする)のではあるが、貧困を「終わらせる」ための、それこそスタートラインはそこにあるように思われる。それになんといっても、世界中の貧困を2025年までに終わらせることは可能である、と著者は言っているのである。そうであるならば、国内の貧困問題の解決にそれ以上の時間がかかるなどということがありえるだろうか。

国内外を問わず、貧困問題に本腰を入れるというのがどういうことなのか、世界レベルで良く分かる一冊であった。

働きながら、社会を変える。――ビジネスパーソン「子どもの貧困」に挑む ショック・ドクトリン〈上〉――惨事便乗型資本主義の正体を暴く ショック・ドクトリン〈下〉――惨事便乗型資本主義の正体を暴く