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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1316・1317冊目】『百年文庫19 里』『百年文庫20 掟』

(019)里 (百年文庫)

(019)里 (百年文庫)

掟 (百年文庫 20)

掟 (百年文庫 20)

「里」ってなんのことか、分かりますか。これはなんと「遊里」、つまり遊郭のこと。小山清「朴歯の下駄」、藤原審爾「罪な女」、広津柳浪「今戸心中」を収める。遊女をめぐる悲恋の物語の系譜に属する三篇だが、それは同時に、遊郭というある種フィクショナルな空間を舞台にした恋の駆け引きのドラマでもある。

「朴歯の下駄」は男が遊女にフラれる方の話だが、これは著者自身の自伝的物語か。「小説家になろうと思ってるんだ」と顔を紅くして打ち明ける純情が印象的。「罪な女」は、服役中の夫をもちながら客に惚れてしまった「お愛」の切なさが泣ける逸品。ハンカチをお忘れなく。そして「今戸心中」もまた、惚れ込んだ客に去られる遊女の哀しさを書いた名作。永井荷風はこの作品に感銘を受けて柳浪に弟子入りしたという。つまり本作は、かの「墨東綺譚」のルーツであり、近松から荷風への「遊郭文学」の系譜をつなぐ一作なのだ。

もう一冊の「掟」のほうは、峻厳というコトバがぴったりの、背筋の伸びる3篇。戸川幸夫「爪王」は、若い鷹と鷹匠の関係を描きつつ、その奥に自然の峻烈な美しさを描き切ったハードボイルドな傑作。若い鷹そのもののような、荒削りだが贅肉のない文章が見事。ジャック・ロンドン「焚火」もまた、ものすごい。アラスカの寒風のなか、必死で火を熾そうとする男の奮闘を描く。早く火を熾さなければ、手足の指が凍傷となり、やがて自身も凍死する。しかしマッチを擦るにも手は凍りついて感覚が麻痺し、やっと点いた火も落雪で消されてしまう……。読んでいると、息をすることさえ忘れてしまう。

自然の厳しさを容赦なく描き出した2編に対して、バルザック「海辺の悲劇」は人間社会の掟を若者に伝えるという体裁の一作。庶民を見下した語調が鼻につくキザったらしい貴族階級の若者のカップルが、通りすがりの漁師に聞いた人生の「掟」の厳しさとは、という話なのだが、内容はむしろバルザック版「積木くずし」。個人的には、バルザックの描いた人間界の掟は、戸川やロンドンの描いた自然界の掟には遠く及ばない、と思えた。人間は、自然にはかなわない。