自治体職員の読書ノート

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【1307冊目】佐宮圭『さわり』

さわり

さわり

鶴田錦史という、希代の天才琵琶師の生涯を追った一冊。

本書口絵には鶴田錦史の写真が載っている。背広にサングラス、オールバックの、琵琶師というより「その筋のヒト」のほうが似合いそうないかつい外観のこの人が、実は「女性」だと書いてあるのを読んだ時は、心底ぶっとんだ。

それだけではない。なんとこの人、7歳で琵琶を始めてすぐに天性の才能をあらわし、子供時代には琵琶の稼ぎで一家を養うほどの腕前だったというからものすごい。ところが、鶴田はその後、琵琶を捨てて実業の道へ。戦後の混乱期にあって水商売が大当たりし、高額納税者の乗連となるまでになる(実業家としての才能も桁外れだったらしい)。さらに、夫の不倫が遠因らしいのだが、ある時ぷっつりと「女」を捨て、服装から声色まで男性のフリを通した。その結果が、本書冒頭のごつい写真であるというわけだ。

そんな破天荒な琵琶師の人生を、本書は同時代に生きたもう一人の天才、中村富美(水藤錦穣)の生涯と対比させつつ描く。この富美の人生もまた、錦史ほどではないがたいへんな苦労の連続だった。容姿はイマイチだった錦史と違って美貌にめぐまれた富美は、師匠で義父の水藤枝水に手篭めにされた。わずか13歳のことである。その後も昼は厳しい修行、夜は妻の目を盗んでやってくる枝水のいいようにされる日々が、なんと6年も続いたという。

最初にブレイクしたのは富美だった。美しい容姿とすぐれた琵琶の腕をもつ彼女は大人気となり、錦史(当時は「櫻玉」)のほうは二番手に甘んぜざるを得なかった。「敗北」を喫した錦史は、ほかにもいろいろ事情があって琵琶を捨て、いったん実業界に身を置く。ところがなんと、錦史は46歳で琵琶の世界にカムバックするのだ。しかも彼女が試みたのは、伝統的な演奏法の枠を外れた洋楽とのコラボレーションだった。その活動はやがて武満徹に注目され、代表作「ノヴェンバー・ステップス」で、尺八の横山勝也とともにニューヨーク・フィルと共演することになるのである。

本書はその初演の模様から始まる。棒を振ったのは小澤征爾。その描写はすばらしく、読み手を一気に琵琶の世界に引きずり込み、こんな演奏をする鶴田錦史とは何者かと、先を読まずにはいられなくなる。例えば、「ノヴェンバー・ステップス」のカデンツァは、こんなふうに描写されている。

「竹林を過ぎゆく風のように、横山は緩やかに尺八を吹く。飛び交う蛍の繊細さで、琵琶の響きが一撥、また一撥と放たれる。横山の尺八は鶴田の琵琶の軌跡をなぞるかのように揺らめき、彷徨いながら、次第に互いから自由になっていく。
 風の音が鳥の声に変わる。蛍の光は刃の閃きと化す。鶴田は撥を弦の上に滑らせ、キリキリと弓を引き絞ると、一撥で放った。横山の尺八が唸り、鶴田が撥の先で胴をカチッと叩く」(p.19)

著者はフリーライターらしく、本書が初の著作になるらしいが、実によくできている。冒頭の「引き込み」から錦史の生い立ちへ、そして途中からは富美の人生と錦史の人生が掛け合いのように響き合い、そして最後は錦史の死まで一気になだれ込んでいく。

圧巻の人生絵巻。オススメ。


武満徹:ノヴェンバー・ステップス 琵琶劇唱~鶴田錦史の世界