自治体職員の読書ノート

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【1305冊目】佐藤優『3.11クライシス!』

3.11 クライシス!

3.11 クライシス!

昨年3月から4月にかけて、ネット上や雑誌などに書かれた文章を集めたもの。しかし、1年後の今から見ても、その内容がみごとに的を射たものであることに驚かされる。

クライシスとは、もともと「分岐点」という意味であるという。そして著者は「2011年3月11日」を、1945年8月15日にはじまる日本の「戦後」の終わりとして位置づけている。

著者によると、この「戦後」の日本を支配したのは、合理主義、生命至上主義、個人主義であったという。しかし、震災をめぐっては命をかえりみず避難放送を続けた市役所の女性職員や従業員を逃がして自分は犠牲になった会社社長などのエピソードが肯定的なニュアンスで伝えられ、原発事故への対応についても、政府や東電のていたらくとは対照的に、身体や生命の危険をかえりみず事態の収拾にあたった現場の人々に賞賛が集まった。こうした状況について、著者は「太平洋戦争敗北後の生命至上主義と個人主義をわれわれは既に克服しつつある」(p.3)と捉えているようだ。

また「戦後の区切り」ということで言えば、3月16日に流された天皇陛下のビデオメッセージについて「終戦を宣した玉音放送に匹敵する大きな出来事である」という指摘は鋭い。さらに、その内容には「しきしまの大和心のををしさはことある時ぞあらはれにける」という明治天皇の御製が残響していたこともまた、著者が本書で度々指摘しているとおりであろう。

また、さっき書いたように、現場の人々の「雄々しさ」に比べた時に、政治や官僚、東電トップの「ひよわさ」はいかんともしがたいものがある。しかし、著者はそれをいたずらに責めることはしていない。なぜなら、危機に対する基礎体力がなく、批判に弱い彼らをバッシングすることは、かえって彼らの災害対応を萎縮させ、過度の規則主義、マニュアル主義に陥らせる可能性があるからだ。

むしろ著者は、ここは菅首相への翼賛体制を敷くべきだと主張する。それは、菅直人という「個人」を賞賛するゆえではない(むしろ菅総理に対しては著者は批判的だ)。このような危機的な事態にあっては、「いつものような」足の引っ張りあいや揚げ足取りをやっている場合ではないからだ。いかに頼りないリーダーであろうとも、リーダーというポジションにその人がついている限り、それを支え、もり立てることが事態収拾への最短の道だからである。

著者の姿勢は徹底してリアリスティックだ。そのスタンスは、本書の中でさまざまに提示される「具体的提案」にもっともはっきり見られる。それは「原発報道に関して報道協定を結べ」「歴代総理による緊急アピールを」「専門家の知見を最大限に活かすため「悪魔の弁護団」の結成を」など、どれも震災後わずか数日の間に示されたとは思えない的確かつ即時に実現可能なものばかり。プロのインテリジェンス・オフィサーの凄みを感じる。

いまさら言っても詮無いことだが、著者のようなインテリジェンスの持ち主が霞ヶ関ではなく今の場にいることは、かえすがえすも残念である。今からでも、官邸は三顧の礼をもって、佐藤氏を外交・内政全般にわたるアドバイザーとして政府内に迎え入れるべきではないだろうか。