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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1302冊目】東浩紀『一般意志2.0』

国家・市場・労働

一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル

一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル

理解するのは、たぶんそんなに難しくない(誤読しているかもしれないが)。しかし、評価するのは難しい。そんな印象の一冊だった。

一般意志とは、著者にならって定義すれば「個人の意志の集合体である共同体の意志」(p.36)のこと。フランスの思想家、ルソーが唱えた有名な概念だ。しかし、それは(現代においてイメージされやすいような)議論を経て到達できる人民の総意、といったものとは大きく異なるものだったという。

著者によれば、ルソーが考えた一般意志とは、一人ひとりの意志の総和から「相殺しあう」ものを除いた上で残る「差異の和」のことなのだそうだ。著者はそれをベクトルになぞらえ、一般意志とは「ベクトルの和」のようなものであると説明する。つまりルソーは、一人ひとりのバラバラの意志を「足し引きする」ことで数理的に算出可能なものとして一般意志を構想し、それに基づく政府のありかたを理想としたのだ。

もちろん、それはルソーの時代においては一種の理念にすぎない。しかし、情報技術革命の結果、われわれは今や新たなカタチで「一般意志」を可視化することができるようになった……というのが、本書における著者の主張のホネである。著者はそれを「一般意志2.0」と名付ける。その前提となるのは、グーグルやツイッターによる膨大な情報の蓄積である。

といっても、本書は議論空間としてのネットを評価するわけではない。むしろ著者が注目しているのは、膨大な入力パターン、膨大な情報の蓄積から浮かびあがる、大衆の無意識であり、人々の欲望の所在なのだ。われわれ自身も自覚していない意志や欲望のありようを浮かび上がらせることが、グーグルやツイッターの存在によってできるようになった、と言ってもよい。

「来るべき総記録社会は、社会の成員の欲望の履歴を、本人の意識的で能動的な意志表明とは無関係に、そして組織的に、蓄積し利用可能な状態に変える社会である。そこでは人々の意志はモノ(データ)に変えられている。数学的存在に変えられている」(p.87〜88)

そして、こうした「無意識の欲望」の表現たる一般意志2.0を、政治は統治の制約条件としなければならない、と著者は説く。もちろん「熟議」もまた必要だ。しかし、熟議民主主義が前提とする「議論の場そのものの共有」が、現代においては難しくなっている。そうであれば、政治には、熟議を補完する存在としての「無意識のデータベース」が必要なのだ。理性のみに基づく統治から、可視化された無意識の欲望と情念を参照し、制御しつつ行われる政治へ。それは、理性に懐疑的な視線を向けたルソーの思想へのある種の回帰でもあるはずだ。

さて、私のいい加減な理解力によれば、本書ではだいたい以上のようなことが書かれている(もちろん、上に書いたのはきわめておおざっぱな概要にすぎず、実際にはいろんな肉付けがなされているが)。さあ、どうだろうか。同意できる内容だろうか。それとも違和感を感じるだろうか。

浅いと言えば、本書の議論はいかにも浅い。国会議事堂のモニターに大衆の声が「ニコ生のように」流れるなんて、正直なところ、そんなチープな政治は勘弁してほしい。まあ、現実の政治がここまでチープになってしまっている以上、ここだけ「理想の政治」を求めても無理な話なのかもしれないが。東浩紀というブランドがなければ、こんな議論、単なるネットオタクの妄想として一蹴されるだけだろう。

それにまあ、著者の言っていることは、分からなくもない。夢想として割り切ってしまえば、ひとつの思考実験としてはなかなか面白いとも言える。もちろん、著者が主張するような「一般意志2.0」時代の政府の統治の正統性を担保するためには、情報通信技術が事実上すべての国民に行き渡らなければならないし(デジタル・ディバイドの問題)、それを運営するグーグルやツイッターなどの「民間会社」の公共性や公平性が確保されなければならないし、情報の分析方法が完全に偏りなくフェアでなければならない。少なくとも、国民の大多数に選挙権が与えられているのと同レベルで「無意識の欲望の蓄積」に参与できる環境が整備されなければ、上の議論は正当性を失う。ネット利用者の多くがグーグルよりフェイスブックなどによる閉鎖的なネットワークに移行しつつあるという動向もまた、おそらく考慮に入れなければならないだろう。

しかし、こうした前提条件はともかくとして、ここに書かれている社会像・政治像を「たたき台」として議論を展開させていくことは、十分に可能だと思われる。ルソーだって、一般意志が実現可能とはとても思えなかったにも関わらず、その議論はその後の多くの思想家のたたき台になってきたではないか。本書の内容にはいろいろ批判もあるようだし、正直、挙げ足とりをしたくなる個所もたくさんある。しかし、その中には民主主義をラディカルに考え直すための「芽」もまた、多く含まれていると思うのだ。浅い議論、薄い議論だからこそ、突破できる部分というものがある。本書に関しては、単に文句をつけるより、その突破力に賭けてみたい。





社会契約論 (岩波文庫)