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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1300冊目】宮崎駿『折り返し点』

折り返し点―1997~2008

折り返し点―1997~2008

もののけ姫』から『崖の上のポニョ』までの約10年間に、宮崎駿が語り、書いたさまざまな文章を集めた一冊。『もののけ姫』と『千と千尋の神隠し』で全体の3分の2以上が占められ、『ハウル』はやや少なめ、『ポニョ』にいたってはメモ程度のものが申し訳程度に収められているだけなのだが、とはいえ500頁以上にわたって、存分に「宮崎節」が楽しめる一冊だ。

思えば宮崎作品にはお世話になった。小学校5年生くらいで『ルパン三世 カリオストロの城』に魅了され、『ナウシカ』は当時ピンとこなかったものの、中学の頃は『天空の城ラピュタ』にハマり、文字通り擦り切れるほどビデオを観た(もっとも、後で書くように、こういうアプローチの仕方は宮崎氏の本意とは全然違うらしい。ちょっとショックだった)。

その後、しばらく宮崎熱は途切れたが、20歳を超えて今度は『もののけ姫』でやられた。映画館で、同じ映画を3回も観たのはこの作品が最初で最後だ。『千と千尋』は『もののけ姫』があまりに良かったので、がっかりするのが怖くてなかなか観に行かなかったのだが、上映期間終了間際にたまたま観に行ったらすっかりトリコになってしまい、そのままもう1回続けて観てしまった。

これほどまでに宮崎作品にとりつかれるのはなぜなのか、自分でも実はよく分からない。というか、分からないものがあるから、惹かれるのかもしれない。意味を読みとろうとか、解釈しようとかいう気分に、この人の映画は不思議とならないのだ。むしろ、本書のどこかにも書かれていたが(そのページを探しているんだが、どうしてもみつからない)、この人の映画の凄みは「論理」や「合理」を超えたところにあるような気がする。

とはいえ、それは見る側のリクツである。本書では、宮崎駿という「作る側」の話がてんこ盛りなのだが、そこで強く感じたのは、この人は相当に「引き裂かれた」人なんだなあ、ということだった。

となりのトトロ』を観れば分かることだが、この人ほど、現代の大量消費文明に強い拒否感と違和感をもち、自然と切り離されてテレビやゲームに埋まってしまっている子どもたちの現状に危機感をもっている人はあまりいないだろう。そのため本書でも「今、人類がまっとうに生きていくためにはテレビ以下のサブカルチャーを無くすことです」(p.184)と断じ、子どもに『となりのトトロ』を50回観せるということは、そのうち49回は、その分、外で自然と関わる機会を失っているのだと言う。部屋にこもって宮崎アニメを観る「オタク」は、実は宮崎駿の思想にとって、もっとも対極に位置するタイプの人間像なのではなかろうか。

にもかかわらず、宮崎駿はアニメを作っている。アニメがこの世界を「悪く」している要素のひとつだと認識し、そんなものはなくなってもいいと思いつつ、自らはそれをつくり、かえって日本アニメ界の代名詞みたいになってしまっている。それがどれほど矛盾に満ち、自らを引き裂き、深い悩みをもたらすものなのか、ちょっと想像がつかないくらいだ。

そして、そのギリギリの矛盾と葛藤が、身を削るような表現や思想として、映画の中をのたうっている。だからそれが、かえって観る人の心を打ち、宮崎アニメはさらに支持されてしまう。本人はおそらく本気で「アウトサイダー」でありたいと思っているにもかかわらず。

おそらく、だからこそ彼は三鷹に「ジブリ美術館」をつくったのだろう。本書にはそこに込められた思想と、子どもたちへの期待が語られている部分もあるが、私はこれを読んで、この美術館は、アニメ映画を子供たちに与えてしまったことへの罪ほろぼしのようなものを感じた。

ちなみに、この美術館は(私は実は行ったことがないのだが)「カメラ・ビデオ撮影禁止」なのだそうだ。なぜなら、それによって子どもたちは、将来の記念にとカメラの前で笑顔を演じることから解放され、いまここでの遊びや楽しみに集中できるから。大人のためのこざかしい「思い出残し」の呪縛から、子どもを解き放つことができるからだ。う〜ん、素晴らしい。大賛成である。全国の遊園地や動物園、できれば運動会や学芸会は、ただちにこの方針に追随していただきたい。

なんだかちょっと脱線したような気がするが、とにかく本書は、宮崎作品の裏舞台を知る上でも、ファンには必読の一冊。印象に残るフレーズもいくつかあったので、以下、ヨリヌキのものを備忘のためにメモっておきたい。映画名がタイトリングしてあるが、必ずしも映画そのものへの言及とはかぎらないので、念のため。子供のことが多いですね。

もののけ姫
「もう告発は済んだのです。後は、日常生活の中で、一人ひとりが自分は何をするかを考える時です。それぞれができる範囲のことをやればいい。木を残すことと近所を掃くこととは、価値としては同じではないかと思うのです」(p.48)

「子ども時代に得た何かというのは、どういう形で残るのかは定かではないけれど、その子にとって決定的な影響力をもっているものだと思います。そこには、大人の一年間に値するような五分間があるんだと思いますよ」(p.88)

「僕は、何よりも子供を丈夫にしないといけないと思っています。そして知的好奇心を持ち続けるようにすること。具体的には、この世界と噛み合うようにすることです。そのために、子供時代があるんです」(p.185)

千と千尋の神隠し
「ボーダーレスの時代、よって立つ場所を持たない人間は、もっとも軽んぜられるだろう。場所は過去であり、歴史である。歴史を持たない人間、過去を忘れた民族はまたかげろうのように消えるか、ニワトリになって喰らわれるまで玉子を産みつづけるしかなくなるのだと思う」(p.232)

「例えばスタジオジブリで十歳の少女が働かなければならなくなったとします。それは親切な人もいじわるな人も含めて、カエルの大群の中に入ったようなものです。これはそういう映画なんです」(p.263)

「今の子どもたちは、ひ弱で善良で傷つきやすく、そして誇り高くて、仮面で武装することができないことがわかります。神経がむき出しになっているみたいに、感覚が非常に鋭敏になっている。小さいうちに、遊びやいろいろなことを通じて、自分を守るための防護壁を作っておかなければならなかった。しかし作る暇がなかった。その子どもたちが、この動乱の時代に居合わせるというのは、皮肉でもあり、悲劇です」(p.311)

ハウルの動く城
(映画を通して送り続けたいメッセージは? という質問に答えて)「本当のことを言うのは恥ずかしいんですけれども、やっぱり『おもしろいものは、この世界にいっぱいある』ということですね。『まだ出会ってないかもしれないけれど、きれいなものや、いいこともいっぱいある』ということ、それを子供達に伝えたい。それだけです。それを映画の中に描こうというんじゃないですよ。映画の向こう側にいっぱいあるんだという(笑)。僕はそう思ってます」(p.380)

「もともと、私達の作品は日本のアニメーションを代表するものではありません。むしろ、日本のアニメーションのはしっこの方で、流れにさからうように仕事をして来ました」(p.395)

「僕自身は最近、あまり遠くのこととか先のことを考えるのではなく、自分の半径五メートルくらいのことをちゃんとやっていこう、そこで見つけたもののほうが確かだという想いが強くなっていますね。五百万人の子供に映画を送るよりも、三人の子供を喜ばせたほうがいい。経済活動は伴わないけれど、それが本当は真実だと思います。僕はそのほうが自分自身も幸せになれると思うんです」(p.468)

「かつて映画は、人生の勉強にいくところだった。今は、スーパーでよりどりみどりに選んで、高いとか、まずいとかブツブツ言う消費者を観客と呼ぶようになったんです。しかし消費されるものを僕は作っているんではない。前よりちょっとましな人間になるために映画を作り、映画を見るんです」(p.485)

ちょっと思ったんだが、この人って、ひょっとして現代を代表する大思想家なのかもしれない。