自治体職員の読書ノート

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【1299冊目】穂坂邦夫『教育委員会廃止論』

教育委員会廃止論

教育委員会廃止論

タイトルは強烈だが、内容はむしろまっとうな「改革案」。

著者は、埼玉県の志木市長として「行政パートナー制度」など多くの思い切った改革を行ってきた、知る人ぞ知る「改革派首長」のひとりである。本書のテーマである教育行政に関しても、25人学級の導入、ホームスタディ制度などを導入した実績をもつ。

そういう人が唱える「教育委員会廃止論」であるから、(いま大阪市でやっているような)教育行政への首長の関与強化を提案しているのかと思っていたら、著者の主張はどちらかというと、国や都道府県はもとより、首長に対しても教育委員会の独立性、中立性を強化するという方向であるようだ。ならば、それは戦後導入された民選制の教育委員会制度への回帰なのかと思いきや、どうやらそうでもないらしい。

当初の制度では、教育委員は住民からの投票で選ばれ、それゆえに政治的中立性が保たれるとされてきた。それが様々な事情の中で、委員の公選制が廃止され、国(文部科学省)、都道府県教育委員会、市町村教育委員会というタテの統制構造になってしまったという、いささかねじれた歴史をこの制度はもっている。そのため、教育委員会は首長をトップとする行政機構の中に飛び地のように存在する、文部科学省の植民地のようになっていた。

もちろん文部科学省のトップである大臣はたいてい政権党の国会議員から選ばれるため、政治的中立性どころか、教育行政はモロに政治の影響を受ける。さらに著者が指摘するのは、こうした構造によって、教育が地域社会と切り離され、「地域で子供を育てる」ことがたいへんに難しくなってしまったという点である。

特に著者が問題視するのは、教員の採用・任命・人事配置・給与の支払い等を都道府県で行う「県費負担教職員制度」だ。こうした制度のもとでは「教員の意識は都道府県の職員であり、市町村はあくまでも赴任先」(p.99)ということになり、教員は地域への帰属意識も、したがって地域の一員としての子供を育てるという意識も持ちにくい、ということになる。地域としても、先生はいつかいなくなる「お客さん」にすぎず、学校と地域がスムーズに連携しつつ、その地域の子供を共に育てていく、ということもやりにくくなる。

その結果、県費負担教職員制度が、著者の言い方でいえば「オラが学校」という意識を育む障害になってしまうというワケだ。もちろん、現場でいろいろな努力をされている先生はたくさんいる。しかし、制度がそれを後押しするどころか、足を引っ張るように作用してしまっているのである。

こうした問題点を整理した上で、著者が提示するのが「新しい教育委員会」の制度。その内容を、著者は次の6点で示している(引用ではなく、かなり要約してあります)。

1 国の規制・関与を最小限に限定
2 市町村への教職員の任命・人事権付与
3 教職員給与の国全額負担・総額裁量制により市町村へ配分
4 校長の裁量権拡大、教育課程の実質的編成権を学校へ
5 情報公開徹底のもとで住民参加拡大
6 義務教育への政治的中立性・継続性・安定性・レイマンコントロール(住民の意志を反映)

もっとも、この構想については、個人的にはちょっとよくわからない点も多い。教育委員会の独立性を重視する一方、教育委員会制度を選択性にせよとの意見はなんだか矛盾しているような気もするし、教育委員会の政治的中立性を確保するのはよいが、その選定をこれまでどおり議会同意・首長任命というのでは、本当に中立性が確保できるかどうか不安が残る。特に「新しい教育委員会」でリーダーシップを強化すべきとしている、いわば改革案の「キモ」となるべき教育長について、その人材確保と、首長とのパワーバランスをどうとるのか、よく理解できなかった。

しかし、大筋において著者が主張する改革案にはうなずける点が多い。なにより、批判にとどまらず具体的なプランをしっかりと提示しているのがすばらしい。ハシモト式の首長主導型とはまた違った教育改革プランであり、両者を比べていくと、教育行政というものの課題や考え方がいろいろ見えてくるかもしれない。