自治体職員の読書ノート

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【1298冊目】ジョナサン・スウィフト『ガリヴァー旅行記』

ガリヴァー旅行記 (岩波文庫)

ガリヴァー旅行記 (岩波文庫)

子供の頃に読んだ本を大人になって読み直すと、いろんな発見があるものだ。しかし、この『ガリヴァー旅行記』ほど、その落差の大きい作品もめずらしい。

確かに昔懐かしい、有名な小人の国リリパットや巨人の国ブロブディンナグのお話もしっかり載っている。しかし、子供向けのファンタジーとして通用するのはそこまで。むしろ本書の「本領」は、後半の第3編と第4編にある。とてもじゃないが、子供には読ませられないシロモノだ。

まずは第3編。ここではラピュータ、バルニバービ、グラブダブトリップ、ラグナグ、そして日本が舞台となる。

ラピュータといえば『天空の城ラピュタ』が思い浮かぶが、似ているのは空に浮かぶ島であるというところだけ。コチラのラピュータは、誰もが目の前の問題や考えごとに夢中になっているので、肩を叩かれないと目の前に人がいるのにさえ気づかないというヘンな人たちの国。バルニバービでは、誰もがヘンな研究(キュウリから太陽光線を抽出する研究とか、人糞を食糧に還元する研究とか)に没頭し、地に足のついた生活をしていないため、国土はすっかり荒れ果てている。グラブダブトリップでは、過去の偉人たちの亡霊を呼び出すことができ(まるでイタコの国だ)、ラグナグでは王様に謁見する人は玉座の前の床のチリを舐めなければならない。鎖国中の日本にもガリヴァーはオランダ人に扮してやってくるが、ここは残念ながら(というか、ホッとすることに、というか)ほとんど通り過ぎるだけで、ほかの架空の国のようなどぎつい描写はない。

それよりとんでもないのは第4編の「フウイヌム国」だ。なんとそこでは、フウイヌムと呼ばれる馬が知性を持ち、支配階級として君臨している。そして、ヤフーと呼ばれる野蛮で醜い「人間」が、奴隷となってその下に仕えているのである。

ガリヴァーは「知性をもったヤフー」としてフウイヌムに歓待され、外の世界についてフウイヌムに語るのだが、そこで展開されるのは、スウィフトの痛烈な文明社会批判。戦争や暴力に明け暮れ、二枚舌で虚栄と嘘にまみれた人間社会は、フウイヌムにとっては信じがたい醜悪な世界でしかない。なにしろこのフウイヌムたちは、嘘や悪事をあらわす言葉をもたない、理性と美徳のカタマリのような連中なのだ。結局、ガリヴァーの力説する外の「ヤフーたち」の社会は、フウイヌムにとっては軽蔑と嫌悪の対象にしかならない。

しかも、フウイヌムの国で暮らすうち、ガリヴァーは、生涯をそこで送りたい、愚かしいヤフーどもの国には戻りたくない、と願うようになるのである。それがたとえ、半奴隷のようにしてフウイヌムたちに仕える日々であろうとも。しかし結局「ヤフー」にすぎないガリヴァーはフウイヌムの国から追放され、嫌々ながら祖国に帰ることになる。

そして、ラストに込められたスウィフトの皮肉は痛烈だ。ガリヴァーは帰国した後も「醜悪なヤフーども」と触れあうことに嫌悪を感じ、妻子とさえも、いっしょに食事をすることがイヤでたまらなくなる。そして二頭の馬を飼い、フウイヌムの言葉を使って、馬たちと日がな会話を楽しむのである。

本書にちりばめられたスウィフトの皮肉や風刺は、どれも度はずれて痛烈だ。そこにあるのは、並外れた人間社会への嫌悪と不信である。似たような作風の作家として思い浮かぶのは、初期の筒井康隆の短編あたりだろうか。でも、それにしたって、これほどの毒の強さ、ここまでの笑いの黒さではなかった。

いったいこれほどの深い闇と、それをあざけり笑う冷めた精神を、スウィフトはどこで育んだのだろうか。ちなみに、物語自体はとても楽しく、読みやすい。子供には絶対読ませられない、オトナのための劇薬寓話である。