自治体職員の読書ノート

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【1296冊目】吉田徹『ポピュリズムを考える』

ポピュリズムを考える―民主主義への再入門 (NHKブックス No.1176)

ポピュリズムを考える―民主主義への再入門 (NHKブックス No.1176)

ポピュリズムは民主主義の「劇薬」である。本書の内容をざっくりまとめてしまえば、こういうことになるだろうか。

そもそも、ポピュリズムの語源「ポプルス(Populus)」はラテン語の「人民」であるという(本書では「人々」という言い方をしている)。人々の名において行われる政治こそがポピュリズムなのである。小泉元首相は「大衆を信じないでなぜ民主政治が成り立つのか」と言ったというが(p.11)、まさにこの言葉こそが、民主主義とポピュリズムの関係における真理を的確に衝いているといえる。

本書は、現代における数多くのポピュリストたちの分析や、ポピュリズムをめぐる歴史的な経緯をたどりつつ、その本質に迫った一冊だ。そして、多くの類書がポピュリズムを唾棄すべき病理であり愚民政治の一種とのみとらえているのに対し、むしろ民主主義に必然的に生じる現象と考え、その功罪を冷静に分析するという姿勢で書かれている。

ポピュリズムの核心は「否定の政治」にある、と著者は指摘する(p.68)。ポピュリズムそのものは、必ずしも共通した政治姿勢をもたない。むしろ、既得権益層や特権階級を否定するために、われわれ「人々(人民)」は立ち上がらなければならない、というのがポピュリズムを支えるロジックだ。

だからこそ、ポピュリストは必ず「敵」をつくる。それは「貴族」だったり「外国人」だったり「金持ち」だったり「抵抗勢力」だったりする。ちなみに最近のハヤリは「公務員」である(やれやれ)。

ポピュリズムは人々の間に協調を促すのではなく、むしろ『人々』と『人々以外』を分断することによって、活力を得ようとする政治なのである」(p.69)

ちなみにこのことは、橋下市長や小泉前首相を「叩く」ことがいかに難しいか、という理由でもある。週刊誌や評論家や学者がいかに彼らのやり方を批判しようと、それは「敵」として自ら名乗りを挙げることによって、かえって相手に栄養を与えているようなものだからである。

さて、敵を作っては攻撃するという習性をもつポピュリズムには、必然的にある種の破壊衝動がつきまとう。しかもそれは「人々」の支持を得ているだけにタチが悪い。だからポピュリズムを批判する人々が(特に左派のインテリを中心に)多いのだが、しかしポピュリズムとはそれだけのモノではない。著者は問題点を一つひとつ挙げていくする一方、ポピュリズムには「功」の部分もあると指摘する。

ポピュリズムの持つ力は民主主義にとっての重要な要素の一つでもあることは確かである。それは政治エリートを中心に形成される形式的・理性的な民主主義と、「人々」の感情からなる実態的・情念的な民主主義との乖離を告発し、構造的に隠蔽された不満を政治の俎上に乗せる。ポピュリズムは、民主主義の不均衡を是正するいわば自己回復運動のようなものである」(p.209)

もっとも、こうした是正機能が、かつてのポピュリズム政治のもとで十分に働いたかどうかは疑わしい。小泉構造改革を思い出していただければすぐわかると思うが、こうした「改革」の多くは単に、既得権益層を「人々」のレベルに引きずりおろすだけの、いわば「恨みを晴らす」にとどまるものが多かったように思われる。

やや脱線するが、今の公務員改革にしても、民間の低劣な労働条件に公務員を「合わせる」ことばかりが議論されており、そもそもその民間の労働条件が適切なものなのかを考え、不適切な低水準なのであればそちらを引き上げていこうという機運は、残念ながら乏しい。例えば大阪市で市営バス運転手の給与を約4割削減するというプランが動いているが、そこには民間の「現状」に合わせるという発想があるばかりで、そもそも市営バス運転手の給与はいくらくらいが適切なのかを客観的に検討した痕跡があまり見られない。そこに見え隠れするのは、市場原理の結論を絶対的に信頼するという、アダム・スミス流の「神の見えざる手」的な思想でしかない。

小泉時代、そして現代にも続くポピュリズムは、そのためにリーダーシップが発揮されるのでもなければ、人々の具体的な要求やアイデンティティに基づいて展開されるのでもなく、つねに排除すべき「敵」を循環的に発見していくものでしかなく、そこでは新たな既得権益が生産されるだけでしかなかった」(p.216)

どうやら、ポピュリズム政治は「壊すこと」は得意だが、「作ること」は苦手とみえる。

冒頭でポピュリズムが民主主義の「劇薬」と書いたのは、こういうことなのだ。確かにポピュリズムによって、民主主義の硬直化を防ぎ、人々の不満を吸収し、バランスを保つことはできる。しかし、よっぽど注意して取り扱わないと、それはわれわれの社会に取り返しのつかない損害を与えることにもなるのである。

もちろん、本書にはそのための処方箋もしっかりと用意されている。具体的には本書をお読みいただきたいのだが、要は「情念」のポピュリズムと「理性」の参加(熟議)民主主義を両立すること、がそれである。

熟議民主主義についてまで書いているとキリがないのでこのへんにしておくが、いずれにせよポピュリズムは、単に排除し、忌避すべきものではなく(だいたい、排除しようと思って排除できるような生易しい相手ではない)、その危険な側面を制御しつつ、民主主義の充実のために「共闘」すべき相手と考えるべきなのだ。

ポピュリズムについて考えるとは、民主主義について考えること」であると著者は指摘する。本書はその指摘のとおり、出色のポピュリズム解説書であると同時に、一級の民主主義論でもある。橋下市長に一喜一憂しているヒマがあったら、ぜひ本書を読まれることをオススメしたい。