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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1294冊目】プラトン『プロタゴラス』

プロタゴラス―あるソフィストとの対話 (光文社古典新訳文庫)

プロタゴラス―あるソフィストとの対話 (光文社古典新訳文庫)

プラトン初期の作品のひとつ。ソクラテスと、有名なソフィストであるプロタゴラスの対話を描く。

ソクラテスというとどうしても老人のイメージがあったのだが、本書のソクラテスは36歳という若さ。むしろ相手のプロタゴラスのほうが、60歳近い「百戦錬磨の老獪なソフィスト」である。実際の対話の内容でも、ソクラテスは熱くなってつっかかっている「若造」で、プロタゴラスのほうがどっしり落ち着いていて貫禄充分、という印象を受ける。

議論の中身も、プロタゴラスの言っていることのほうが骨太で説得力があり、ソクラテスの論法は揚げ足取りや牽強付会が目立つ、まあ言ってみれば中身のないディベートのような感じを受ける。ところが読んでいくと、実はその裏に、もうひとつのシナリオが隠れていることが見えてくる。

そもそも、両者の対話は「人間の徳(アレテー)は教えることができるか?」という論点をめぐって始まる。プロタゴラスは「教えられる」と考えるのに対して、ソクラテスは「教えられない」と主張するのだが、実はここに、当時のソフィストソクラテスの対立軸、さらにはソクラテスの思想の根幹が潜んでいる(このあたりの「裏事情」については、解説で文字通り解説されている)。

ここでいう「徳(アレテー)」とは、単なる人徳といったあいまいなモノではなく、むしろその人の能力も含めた広い概念だというが、それが教えられると主張するソフィスト側は、実際に、お金を取って「徳を教える」という商売をやっていた「知の商人」であった。

これに対して、ソクラテスのとった方法はまったく違うものだった。ソクラテスは「無知の知」をとなえ、自らの無知を自覚する者こそほんとうに賢い者である、と考えた(そのあたりの思想については、有名な『ソクラテスの弁明』に詳しい)。そのため、ソクラテスは「賢き者」としてそれを人に伝えるのではなく、むしろ無知であることの自覚に基づき、対話によってそのことを明らかにすることで、真理に近づこうとしたのであった。

こうした対立軸自体は、本書の対話には出てこない。しかし、そうしたシナリオが裏で動いていることを意識しながら読んでいくと、ソクラテスの意図や思惑が見えてきて面白いことになる。そもそも、ソクラテスにとって、「人気ソフィストプロタゴラスこそは、もっとも打倒すべき、もっともその無知を自覚させるべき相手であったのだ。そう思えば、ソフィストのお株を取ったようなソクラテスの弁論術も、相手の技を使って相手を追い詰めているような効果を発揮しているといえるかもしれない。

さて、そんな奇妙な「二重ディベート」は、しかし思わぬ結末を迎える。なんと、対話の結果、両者の主張は最後に逆転してしまうのだ。つまり、「徳は教えられる」と主張するプロタゴラスは、最後には「徳は教えられない」という結論に至り、一方「徳は教えられない」とするソクラテスは、どうしたわけか「徳は知識であり、教えられる」という結論に至ってしまうのだ。

こりゃおかしい、そこに至るまでの道筋を再検証しましょう、とソクラテスが申し出、プロタゴラスがそれをはねつけるところで、本書は終わっている。結局どっちが勝ったのか、よくわからないまま終わってしまうという不思議な本である。ちなみに本書はご存知「光文社古典新訳文庫」の一冊。例によって大変読みやすい訳文だ。

プラトン入門の一冊には先出の『ソクラテスの弁明』をオススメしたいが、プラトン独特の対話の醍醐味を味わい、さらにプラトン哲学の深奥までたどり着くための入口としては、本書もなかなか良さそうである。実はこの「徳」の議論が、後のプラトン国家論、例の「哲人王」の思想にまでつながってくるのだから・・・・・・。

ソクラテスの弁明・クリトン (岩波文庫) 国家〈上〉 (岩波文庫) 国家〈下〉 (岩波文庫 青 601-8)