自治体職員の読書ノート

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【1292冊目】石川淳『焼跡のイエス・善財』

焼跡のイエス・善財 (講談社文芸文庫)

焼跡のイエス・善財 (講談社文芸文庫)

戦前から戦後にかけての短編集。「山桜」「マルスの歌」「焼跡のイエス」「かよい小町」「処女懐胎」「善財」を収める。

まず印象的なのは、どの作品にも漂う、その時代の空気の濃さ。戦時中の閉塞的な雰囲気への反発から、戦後の焼け跡と闇市の混沌とした、しかしどこか開放的な空気まで、良くも悪くも、時代の空気あっての作品と感じた。

戦時中ということで言えば、「マルスの歌」は昭和13年に発表され、発禁処分を受けている。まあ、あからさまに軍国調へのうんざりした気分を書き連ねた作品であり、むしろこの時代によくぞここまで書いたものだと、そのことのほうに驚かされる(読んでいて、最初は戦後になってから書かれた作品かと思ったくらいだ)。

後半の4作は、設定はそれぞれ違うが、どれも戦後間もない時期の日本が舞台。コチラは戦中とは対照的な、俗世と言えば俗世の極み、どんな人々も生きるために死に物狂いだった時代である。まあ、それだけなら似たような小説は他にもいろいろあるのだが、石川淳が凄いのは、そうした時世のタテイトに対して、「イエス」や「処女懐胎」といった鮮烈なキリスト教的イメージを、ヨコイトとして編みこんだところである。

中でも、そのあたりが強烈にあらわれているのが「焼跡のイエス」である。これは闇市の中で犬のように追われる少年を描く一篇なのだが、この少年の描写がすさまじい。

「道ばたに捨てられたボロの土まみれに腐ったのが、ふっとなにかの精に魅入られて、すっくり立ち上ったけしきで、風にあおられながら、おのずとあるく人間のかたちの、ただ見る、溝泥の色どすぐろく、垂れさがったボロと肌とのけじめがなく、肌のうえにはさらに芥と垢とが鱗状の隈をとり、あたまから顔にかけてはえたいの知れぬデキモノにおおわれ、そのウミの流れたのが烈日に乾きかたまって、つんと目鼻を突き刺すまでの悪臭を放っていて……」(p.57)

しかもこの少年、「わたし」をつけ狙い、飛びかかって押し倒した上、持っていたパンと財布を強奪する。にもかかわらず、「わたし」はそこにイエス・キリストの顔を見るのだ。

「今、ウミと汗と泥とによごれゆがんで、くるしげな息づかいであえいでいる敵の顔がついわたしの眼の下にある。そのとき、わたしは一瞬にして恍惚となるまでに戦慄した。わたしがまのあたりに見たものは、少年の顔でもなく、狼の顔でもなく、ただの人間の顔でもない。それはいたましくもヴェロニックに写り出たところの、苦患にみちたナザレのイエスの、生きた顔にほかならなかった。わたしは少年がやはりイエスであって、そしてまたクリストであることを痛烈にさとった」(p.69)

このイメージの交錯の異様には、読んでいて背筋が寒くなった。他の作品について触れる余裕がないのだが、この短い一篇だけでも、ぜひご一読を。石川淳という作家の凄みが凝縮された作品である。