自治体職員の読書ノート

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【1288冊目】長谷川眞理子『クジャクの雄はなぜ美しい?』

クジャクの雄はなぜ美しい?

クジャクの雄はなぜ美しい?

動物の「性差」と「性淘汰」をめぐる入門的な一冊。

とにかく、読み始めたら面白くてやめられなくなる。取り上げられている事例を読むだけでも、驚きの連続だ。オーストラリアに住むある種のカエルの雌が、自分の体重の「約70%」の体重をもつ雄とペアになるのはなぜか。アメリカ東部のツマグロガガンボモドキの雄が雌にプレゼントする餌は、「表面積が16平方ミリメートル以上」であるのはなぜか。ナンキンムシやマメゾウムシの雄の性器には「トゲ」がついていて、交尾する相手の雌は、そのトゲに性器を傷だらけにされて死んでしまう。なぜそんな残酷な仕組みが存在するのか……。

そこに繰り広げられている「性」をめぐるドラマは、面白さを超えて感動さえさせられる。そもそも、多くの動物で雄が雌より派手で目立つこと自体、考えてみれば不思議な話だ。目立つということは、捕食者に発見される可能性が格段に高まることを意味する。そんな危険きわまりない特性が進化してきたのは、いったいなぜなのか。普通であれば、こうした「目立つ」種こそが進化のプロセスのなかで淘汰されるはずではないのか。

本書で示されている仮説の中では、「ハンディキャップ・モデル」が有名だろうか。こうした「目立つ」雄は、にもかかわらず生き残るほど生存能力が高いため、雌にとっては選ぶべき相手とみなされる、という理論である。確かにそういうこともあるだろう。しかし、むしろ本書で面白いと思ったのは「ランナウェイ・モデル」という仮説だった。

これはどういうものかというと、たしかに地味な雄のほうが適応度は高いが、「どういうわけか雌たちが派手な雄を好むため、派手な雄は、その比較的短い一生のあいだに、地味な雄よりも多くの子どもを残すことができる」(p.128)という考え方なのだ。この「どういうわけか」というところが、なんだか理論としては締まりがない印象を受けるが、しかし考えてみれば、進化における淘汰というのはつまるところ「結果論」なのだから、これだって十分「アリ」なのだ。雌にとってみれば、確かに地味な雄を選んだほうが合理的なのだが、そういう人間の理屈における「合理」と自然淘汰の結果が必ずしも一致しないことも、時々思い出したほうがよさそうだ。

そして、何と言っても本書の最大のテーマは、そもそもなぜ多くの動物で「雄は選ばれ、雌は選ぶ」のか、つまり雌のほうが選り好みをする余地が大きいのか、という点だろう。多くの動物で雄と雌の外観や特性が異なっているのは、この「雌の選り好み」という性的アンバランスによるところが大きい。もうひとつ、これに関連して問題になってくるのは雄同士の「競争」であるが、これだって勝った雄が雌を選ぶというより、勝った雄は負けた雄を遠ざけることで(配偶者防衛というらしい)、雌にとっての実質的な選択肢を減らしているだけなのである。

その内容を紹介するとたいへんな分量になってしまいそうなので、これについては「潜在的繁殖速度」という明快な答えが載っている本書を、ぜひとも参照されたい。そして、人間の「男と女」のドラマに負けずとも劣らぬ動物たちの「雄と雌」のドラマを堪能していただきたい。

ちなみに本書を読んでいて私が一番驚いたのは、「クジャクの雄のあの派手な目玉模様と、雌の繁殖成功率は関係ない」というくだりであった(雄の「モテ度」を決めているのは、むしろ鳴き声のほうらしい)。しかもあの飾り羽は、もともとクジャクであれば雄も雌も生えてくるように遺伝子上プログラムされており、雌の場合、それをエストロゲンというホルモンの働きで抑えているだけだという。つまりクジャクにとって、本来あの派手な目玉模様こそが「デフォルト」なのだ。う〜ん、そ、そうだったのか……。