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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1275冊目】川田順造『江戸=東京の下町から』

場所・都市・風景

江戸=東京の下町から――生きられた記憶への旅

江戸=東京の下町から――生きられた記憶への旅

レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』の翻訳・紹介で知られ、日本の文化人類学における第一人者である著者が、異文化を内から見るその視点を、自身の故郷に適用したらどうなるか。本書は、著者の生まれた東京・深川を、まさにそのようにして捉えなおした一冊だ。

生まれ育った故郷のことなど、ことさらに調べなおさなくたって、よくわかってるんじゃないかと、私なんぞは考えてしまっていたのだが、それが大間違いであることが、本書を読むにつれ伝わってくる。著者は、自身の幼少期の記憶や母から聞いた話を手がかりにしつつ、現在、深川に暮らす人々にインタビューし、古い資料をあたり、地域を歩きまわる。すると、そうした試みを積み重ねるなかで、よく知っていると思っていた深川という地域が、より深く、より濃厚に立ち上がってくる。そのプロセスに、文化人類学の「プロ」としての凄みを感じる。

そして、そうした視点を踏まえ、本書に展開されている深川論、東京論自体、江東区というまさにその地域の自治体で働く者としては、とてつもなく面白く、目を開かされた。特に、タイトルにもなっている「江戸=東京」という位置づけが興味深い。

著者によると、日本という国家自体は明治維新を境に大きく変わった。しかし、江戸と東京はそれに比べると連続性を保っているという。とりわけ下町においては、江戸と東京は地続きであり、なかでも下町庶民のメンタリティは、現在に至るまで綿々と続いているというのである。

その「証拠」が本書でのさまざまなインタビューであろう。特に第3章・第4章の「深川女」への聞き取りが面白い。気っぷが良く、ざっくばらんでたくましい彼女らの下町気質は、たしかに時代の変化の中でも「しぶとく」生き残っている。

その特徴を挙げるとなるといろいろあるが、まず個人主義共同体主義が絶妙にバランスした人付き合いの巧みさがある。異質な人々、風変わりな人も受け入れ、かといって個人主義の殻に閉じこもるのではなく、「人情」や「世話焼き」や「おせっかい」で、適度な距離感を保つことで、お互いに風通しがよく快適なコミュニティをつくっていく。そこには、さまざまな人間を受け入れつつ開かれた共同体をつくってきた江戸下町の知恵が活きている。そういえば、平賀源内松尾芭蕉も、深川に居を構え、エレキテルの実験をしたり、そこから奥の細道に旅立ったりしたのであった。

また、水害や火事などの災害に何度もおそわれ、そのたびに立ち上がってきたところ、享楽的でお祭り好きだが、一方で「消極的だがしぶとい覚悟」(p.327)をもっていること、つまり庶民として相当にしたたかであることもある。なお、著者はそのあたりを指して、日本初の市民社会モデルを下町に見いだそうとしているようである。輸入概念としてではなく、日本独自の市民社会としてこうした下町気質を捉え、ヨーロッパと対比するというこの試みは、たしかになかなか興味深い。

しかし、その場合はやはり「市民社会」ではなく、他の用語をもってあてはめるべきであろう。市民社会では、ちょっとルソーやフランス革命の匂いが強すぎる。庶民社会、とでもいうほうが、まだしも下町には似合っているように思われる。

いずれにせよ、下町気質は今に至るまで脈々と続いているわけであるが、一方でそれをかたちづくる文化や社会は、実は明治維新や終戦ではなく、高度成長の中で変容し、破壊されてきたことも、忘れてはならないだろう。とりわけ東京オリンピックの開催は、水運を中心とした深川の風景を大きく変えた。そのことは、本書でも繰り返して指摘されている。失われてしまったものもまた、たくさんあるのである。

そう考えると、「三丁目の夕日」に描かれているような昭和30年代の社会を原風景のように捉える人が多いようだが、むしろあの時代は、日本が「古きよきもの」を喪失するスタートラインと見るべきではないかとも思ってしまう。あの時代に還りたい、なんてとんでもない。むしろ、あの時代を回避できなかったことこそを、日本人は反省すべきなのではなかろうか。

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