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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1270冊目】近松門左衛門『曽根崎心中・冥途の飛脚・心中天の網島』

せつなさ・いとおしさ・なつかしさ

こういう作品を読まないで日本人ヅラをしていたことが、恥ずかしくなる。

人形浄瑠璃の元祖、近松門左衛門の「世話物」3篇。世話物(世話浄瑠璃)とは、市井の人々の社会や風俗を扱ったいわば「現代もの」のことなのだが、中でもこの3つは、心中や犯罪を通した男女の仲を描いている。道ならぬ恋に身を焦がし、金も家族も仕事も、そして命さえも捨てるすさまじい恋の悲劇である。

最初の「曽根崎心中」は、世話浄瑠璃の嚆矢となった一作。実際に起きた心中事件をネタに、なんとその1ヶ月後には上演にまでこぎつけたというスピードで書かれたのだが、驚くべきはそのハイクオリティ。まさに名文に次ぐ名文である。

たとえば次の一節は、ドナルド・キーンが「日本語で綴られた最も美しい文」と評した有名なくだり。どうですか、この美しさ。

「此の世もなごり。夜もなごり。
 死にに行く身をたとふれば あだしが原の道の霜。
 一足づつに消えて行く。夢の夢こそ哀れなれ。
 あれ数ふれば暁の。七つの時が六つ鳴りて
 残る一つが今生の 鐘の響きの聞きをさめ。
 寂滅為楽と響くなり。
 鐘ばかりかは。草も木も。
 空もなごりと見上ぐれば。雲心なき水の音
 北斗はさえて影映る 星の妹背の天の川」(p.155〜156)

そして、近松の文は、単なる美文というだけではない。そこにはありとあらゆる掛け言葉、地口、縁語などが縦横に織り込まれており、一つの文が二重、三重に響く仕掛けになっている。同じ「曽根崎心中」冒頭の「大阪三十三番観音廻り」の寺づくし、「心中天の網島」の橋づくしなど、とてつもない文章芸術の極みといえよう。

ちなみに、内容は3篇とも、ある意味ワンパターン。惚れあった遊女を請け出すために無理して金を算段したものの、その計画が破綻し、当の遊女が他のお大尽に身請けされそうになる。涙にくれる二人は、それくらいならばと手に手を取って逃げ出し、心中する。そこにいろんな社会事情や犯罪の事情が絡む、という構図である。

しかし、その「ワンパターン」が決して陳腐にならず、むしろ悲劇の定番としての「型」にぴたりはまっているから、ストレートにこちらの胸に刺さるのだ。ヘタなオリジナリティなど邪魔であることがよくわかる。特に「心中天の網島」の悲痛さはものすごい。近松の世話物は、シェイクスピアの4大悲劇やギリシア悲劇に匹敵すると語る人がいるが、分かる気がする。

しかし、今までの私がそうだったように、内容だけを「あらすじ」で知るだけでは、やはり近松の魅力は半分も分かっていないというべきだろう。やはり原文を読まなければならない。それも、できれば「音読」するのが一番だ(本当は、ちゃんと謡を習って、節回しをつけて唸るのがベストだろうが……)。いやいや、本当は、実際に人形浄瑠璃を観に足を運ばなければ、近松の真価は分からないとのかもしれない。正直言うと、以前、ずいぶん前に文楽を観た時はあまりピンとこなかったのだが、今なら何かを感じ取れるだろうか……。