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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1262冊目】稲葉陽二『ソーシャル・キャピタル入門』

ソーシャル・キャピタル入門 - 孤立から絆へ (中公新書)

ソーシャル・キャピタル入門 - 孤立から絆へ (中公新書)

ソーシャル・キャピタルといっても、実はいろんな定義があるのだが、本書では「心の外部性を伴った信頼・規範・ネットワーク」(p.27)としている。ここでポイントとなるのが「心の外部性」という概念だ。外部性とは経済学の用語で「個人や企業などの経済主体の行動が市場を通さないで影響を与えるもの」、つまり市場での売り買いを通すことなく、直接周囲に影響を与えることをいう。

ソーシャル・キャピタルとは人々の関係を一種の「資本」として捉える見方なのだから、外部性がその定義に含まれるのはある意味当然なのだが、本書はそこに着目することで、人々の間の信頼や互酬性の規範(要するに「お互い様」「持ちつ持たれつ」の考え方)、それを支える人間関係のネットワークそのものがどのように周囲に影響を与えているか、という点を分析している。

そして、その具体例として挙げられているのが、長野県須坂市での調査結果である。著者によれば、須坂市では全国平均と比べて明らかに「分厚い」ソーシャル・キャピタルの蓄積があるという。その実例として挙げられているのが、住民間の「助け合い起こし」によるまちづくり運動、地域内持ち回りの「保健補導員制度」発祥の地という土地柄、そして県立病院産婦人科の分娩休診をひっくり返した「地域で安心して子供を産み育てることができることを望む会」の活動だ。

こうした活動は、地域のソーシャル・キャピタルの厚さの中から生まれるとともに、またそれを育んできたともいえる。そしてその結果が、地域住民一人ひとりの健康と福祉の向上にも結び付いている。もちろんそこにはキーパーソンとなる人物の存在があるわけだが、著者はそれに加えて、「キーパーソンの思想を実践に移すことのできる地域のネットワークの存在がより重要」(p.109)であると指摘する。まさにこれこそ、ソーシャル・キャピタルそのものの見本例といえるだろう。

さらに、本書はそうしたソーシャル・キャピタルを「壊す」存在にも言及する。ソーシャル・キャピタルの阻害要因については、パットナムが著書『孤独なボウリング』でいろいろと挙げているが、著者がそこに重要な要因として付け加えているのが、経済格差の問題だ。

この点については、すでにいろんな調査や研究が行われているらしいのだが、本書では内閣府日本総研の調査結果が取り上げられている。都道府県単位で所得・資産格差とソーシャル・キャピタルの相関関係を調べたこの調査では、次のような関係がうかがえるという。

1 格差が少ない都道府県ほど、社会参加が活発である。

2 格差が少ない都道府県ほど、近所づきあいが活発である。

3 信頼と格差の関係は、社会参加や交流に比べると低い

「3」がちょっと分かりにくいが、要するに「ほとんどの人は信頼できる」と答えた人の割合が、所得や資産の多寡によってそれほど変わらなかった、ということだ。もっとも、欧米での調査では逆の結果が出ており、アスレイナーは「信頼は不平等な社会では育たない」と言っているらしい。このあたりは日本と欧米の違いが出ている部分なのかもしれない。

それにしても、これはまたミもフタもない調査結果であるが、日本総研の2007年「所得階層別回答状況」(本書p.158〜159)を見ていると、特に年間所得200万円以下の層で、人間関係の質が他の層とくらべてガタンと落ちているのに気付く。例えば近所づきあいの程度として「生活面で協力+日常的に立ち話をする程度」と回答した人の割合は、200万〜400万円の層で41.0%なのに対して、200万円未満では33.1%。近所でかなり/ある程度多くの人と面識・交流があると回答した人では、200万〜400万円の層で39.7%なのに対して、200万未満で28.1%。地縁的な活動への参加割合では、200万〜400万円の層で27.6%(ちなみにこの割合は全所得階層中もっとも高い)なのに対して、200万円未満では15.1%となっている。

このことは、いわゆる貧困層が単に経済的に劣位の状況に置かれているというだけでなく、人間関係や地域社会の恩恵をも受けられていないことを意味している。いわば二重に「貧しい」状況に置かれてしまっているわけだ。そして、ソーシャル・キャピタルの恩恵を受けられないことが、さらに経済的な不平等を助長するという悪循環が生まれるのである。

個人や地域のネットワークを築き、ソーシャル・キャピタルを培うには、長い時間がかかる。しかし、それを壊すのは案外簡単であって、「格差」と「不平等」でお互いを分断してしまえばよいのである。思えば「無縁社会」とはまさにこのことではなかったか。「格差」と「孤独」は、実は密接に結びついている。そろそろそのことを、われわれ一人ひとりが、正面から認め、受け止める時期に来ているように思われる。

孤独なボウリング―米国コミュニティの崩壊と再生