自治体職員の読書ノート

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【1248冊目】堀江敏幸『なずな』

なずな

なずな

謹賀新年。
今年という一年がこんな年になってほしいと思えるような、そんな本から始めたい。

ということで本書は、弟夫婦の子供を預かることになった40代の独身男性の、育児の日々を描く長編小説だ。

……っていうと、なんかあまり面白そうには見えないだろうが、実はこれが読みだすとやめられない面白さでびっくり。ほとんど何の事件も起きず、出てくる人も良い人ばっかりで、要するに摩擦とか軋轢とかがほとんどない小説なのだが、なんでそれが、こんなに魅力的なんだろうか。

タイトルの「なずな」は赤ん坊の名前。生後2〜3か月くらいの、まだ首も据わらない赤ちゃんだ。その赤ちゃんが、文字通りこの小説の中心になっている。赤ちゃんが笑った(ように見えた)とか、涙が出たとか、喃語(「あ」とか「ぶー」とかのいわゆる「赤ちゃん言葉」)が出たとか、そんな小さな発見があたかも大事件のように語られる。

それがちっとも違和感を感じないのは、読むほうもまた、語り手の「私」とともに、赤ちゃんを育て、世話をし、いとおしむ目線でこの小説を読んでいるからだろう。経験されたことのある方はお分かりになると思うが、子育てに多少なりとも関わっていると、そういう「子育てモード」というものがあるのである。この小説の全編に流れているのは、この「子育てモード」の時間と空間であるように思われる。

なずなを育てるのが実の親ではなく、伯父であるという設定もおもしろい。親だとどうしても子供と密着しすぎてしまうところが、伯父と姪という関係で、ちょうどよい距離感ができている。これくらいの距離感が、子供を育てるには、密着しすぎているよりかえってよいのかもしれない。

筋書きらしい筋書きはほとんどない。そのかわり、ほんのわずかなできごとや心の動きの、描写のこまやかさがすばらしい。なずなのちょっとしたしぐさ、赤ちゃんを連れていることによる、周囲の人々のわずかな態度の変化、そしてなずなを世話する「私」自身の感じたこと。そうしたささやかな描写が、これ以上ないほど的確で、しかも自然。うまい。

それにしても、赤ちゃんがいるということの「力」って、やっぱりすごい。私自身も覚えがあるが、赤ちゃん連れで出歩くのと一人で出歩くのでは、周りの反応も自分自身の「周りの見え方」も全然違うのだ。赤ちゃんは世界の中心、というフレーズが本書に出てくるが、まさにそのとおりだと思う。これは、みごとな小説。子育て経験者にも未経験者(赤ちゃんが欲しくなります。保証します)にも、オススメしたい。