自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1247冊目】河北新報社『河北新報のいちばん長い日』

河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙

河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙

今年最後の一冊は、ある意味、2011年という年を象徴する、重く深い一冊となった。

これぞ迫真のドキュメント。本物のジャーナリズムの「力」と「魂」を、久しぶりに目にした気がする。

3月11日の大震災で、東北地方を拠点とする地方紙「河北新報」に何が起きたか。そして、彼ら自身も被災者という状況で、地元メディアとして何をしたか。本書はその詳細を、河北新報社自らが総括した一冊だ。

新潟日報の力を借りての、震災当日の号外発行。取材に行った被災地で言葉を失う記者やカメラマン。ガソリンも紙も足りない中、それでも新聞を届けようと奮闘する販売店。社員を震災で失い、沿岸部の支局が流され、道路も寸断される中、彼らがそこまで「新聞発行」にこだわったのは、創刊以来100年以上にわたり一日も欠かさず発行を続けてきたという矜持もあるだろうが、それ以上に、やはり新聞というもの、紙媒体のメディアというものが今こそ必要であるという信念もあったのではないだろうか。

実際、震災当日の「号外」を被災者たちは争うように手に取り、むさぼるように読んだという。テレビやラジオなどの情報源が絶たれ、いったい何が起きたのかさえ把握できない中、彼らこそもっとも「信頼できる情報」に飢えていた。そして、それに応えることができたのは、オールド・メディアなどと揶揄される新聞、とりわけ地元紙である河北新報だけだったのだ。

その後も河北新報は「被災者の目線」を失わない紙面づくりを貫いた。全国紙が原発事故報道に一斉にシフトするなか、被災地の状況を載せ続けた。「死者『万単位に』」という見出しを、インパクトが弱まるのは百も承知で「犠牲『万単位に』」に変えた。共同通信が配信した衝撃的な津波襲来時の写真掲載を、被災者の心情に配慮して見送った(全国紙は一斉に掲載した)。そのかわり、詳細な生活情報や、被災者、避難者の声を丹念に拾い、同じ被災者に届けた。

なぜそんなことができたのか。おそらくそれは、河北新報自身が震災の「被災者」であり「当事者」であったことが大きいのではないかと思う。何か事件が起きると、メディアはたいていその「外部者」として取材を行う。そうした態度は、一定の客観性を担保することができる一方、どこか他人事としての無責任さを伴う。無神経な取材や記事が当事者を傷つけることが多いのも、おそらくそうした他人事意識がかかわっているのではなかろうか。

ところが河北新報は、震災という事件の「内部」にいた。そのことを自覚もしていた。「われわれはみな被災者だ。今は誰かを責めることは絶対にするな」という報道部次長のコトバは、そのことを見事に表現している。だからこそ、「客観的な」記事などというお題目はとっくに放棄していた。記者の署名入りで、記者自身が被災の現場で感じたこと、考えたことをどんどん記事にした。そんな「主観的な」記事こそが、結果として被災者に寄り添う紙面をつくり、被災者の心に届く情報を伝えたのだった。

ここにはジャーナリズムの真の魂がある。垂れ流しの共同配信記事をそのまま載せ、無思慮に被災者の心情を踏みにじる全国紙にはまるっきり欠けている、新聞人の覚悟と信念がある。たとえ全国紙がなくなっても、河北新報のような地元紙は生き残るのではないか。本書を読んで、そんな気がした。ジャーナリズムにかかわる人、そして特に、これからジャーナリズムの世界に身を投じようとしている学生さんに、ぜひ読んでほしい一冊。