【1233冊目】沢野ひとし『山の時間』
- 作者: 沢野ひとし
- 出版社/メーカー: 白山書房
- 発売日: 2009/03
- メディア: 単行本
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自慢じゃないが、山登りなんて数えるほどしかしていない。
登山に関する本も、いろいろあるのは知っているが、なかなか食指が伸びない。釣りの本とか園芸に関する本、ロックや写真(写真集じゃなくて写真の撮り方など)に関する本なんかもそうだが、自分自身に同じような趣味や嗜好がないと、なかなかそれに関連する本を読もうとは思わないものだ。自分自身に関して言うと、われながらあきれるほどアウトドア志向というものが欠落しているので、そういう方向性の本(旅行記や探検記などもふくめて)には縁遠い。
そんな中で本書を手に取ったのは、著者が「本の雑誌」の表紙を描いているイラストレーターの沢野ひとしだったため。ああいう絵を描く人の本を読んでみたかった。また、ぱらぱらめくってみたら、挿入されている絵がなかなか良くて惹かれたこともある。だから、ほかの「登山系」の本にどんなものがあって、その中で本書がどういう位置づけになるのかといったことは、正直ぜんぜんわからない。
という前フリを踏まえて言うのだが、この本はなかなか良かった。意外だったのは、けっこう「しんみり」とさせられたこと。内容はまさに山登りの話であり、八ヶ岳や穂高、上高地から八甲田山、羅臼、利尻山、屋久島の宮之浦岳、そしてヒマラヤと、私でも名前くらいは知っている山々をめぐった日々が綴られているのだが、そこに行き交う人間模様が、なかなかいいのだ。ユーモラスで、ちょっと腹が立ち、ちょっとせつない。その味加減が絶妙だ。
兄に山登りを教わり、友人や恋人と登り、そして息子に山を教える。そんな山を通した関係が、なんともうらやましい。特に印象的だったのは、高校卒業後に荒れてひきこもっていた著者の息子さんが、山を通して前向きに変わっていくくだり。もちろんそこには、普段からの親子関係の良さというベースがあるのだろうが、山という「場」のもつ力のようなものを、このエピソードからは感じた。
山登りが面白いのは、そこでは人間が社会生活を離れ、職業も地位も肩書も意味をなさず、むき出しの一人の人間としての姿があらわになるというところだと思う。厳しく雄大な自然を前にすると、そういう余分なものがそぎ落とされ、人は否応なく、素の自分自身と向き合うことになるのだろう。それが集団での旅なら、パートナーの素顔が見えてしまうだろうし、一人旅であれば、自分自身のほんとうの姿と向き合えることになる。それが本書のタイトルでもある「山の時間」の秘密なのかもしれない。だからこそ、人は山に登る、のだろうか。
本書は八ヶ岳に始まり、ヒマラヤ・トレッキングを経て、最後は高尾山に落ち着く。あとがきには「山の極意は低山にあり」なんて書かれている。さんざん高峰を巡った結論が高尾山、というところが、なんとも著者らしくておもしろい。素朴で雄大なイラストもたっぷり盛り込まれており、読んでいると山に行きたくなる。筋金入りのインドア派である私でさえそう思うのだから、山好きにとってはこたえられない一冊なのではないだろうか。