自治体職員の読書ノート

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【1227冊目】小宮正安『オーケストラの文明史』

オーケストラの文明史 ヨーロッパ三千年の夢

オーケストラの文明史 ヨーロッパ三千年の夢

一見堅苦しい本に見えるが、なかなか面白かった。オーケストラの歴史をたどりつつ、その裏側に流れているヨーロッパの歴史と精神を同時にたどる、その手際が鮮やかだ。。

そもそも本書によれば、オーケストラの語源は、古代ギリシアの円形劇場にある。舞台と観客席の間にあるスペースを「オルケストラ」と呼んだのがはじまりだという。つまり、オーケストラとは元々「場所」の名前だったのだ。そして、そこには古代ギリシア演劇に付き物の合唱隊(コロス)が陣取っていた。

そんな古代ギリシアの芸術文化がよみがえったのが、ルネッサンスであった。特にモンテヴェルディのオペラ「オルフェオ」は、現代のオーケストラの原型となる楽器編成を指定した点で、楽団としてのオーケストラを画期した。ちなみに興味深いことに、古代ギリシアやその思想を承継するルネッサンス期のヨーロッパでは、音楽は数学や哲学と並んで、世界の秩序を映しだす鏡のような存在として捉えられていたという。

例えば、古代ギリシアでは火・水・風・土の「四大元素」を世界の構成要素と考えた。そもそも四という数字は、世界や宇宙の完全性をあらわす数であったのだ。それが反映しているのが、弦楽器のパートである第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ+コントラバスという「弦四部」の構成(今ではチェロとコントラバスが分離して「弦五部」と呼ばれるが)であり、人間の声を声部で分ける時に使われるソプラノ、アルト、テノール、バスの構成だ。音楽の基礎をなす「4つのパート」が「4つの世界構成要素」に対応していたと、著者は指摘するのである。

さて、そんな古代ギリシア的=ルネッサンス的な「オーケストラ」は、絶対王政の時代を迎えると、宮廷で君主の威光を示すために利用された。ルネッサンスが花開いたイタリアからヨーロッパ全土にオーケストラが広まったのがこの頃だった。さらにこうした音楽は、市民革命と啓蒙思想の時代を迎えると、今度は有産階級市民によって支えられるものとなっていく。同時に音楽そのものも、ハイドンモーツァルトのような「宮廷向け」のものから、ベートーヴェンによる高度に理念的で精神的なものに変容していくのである。

特にベートーヴェンの存在の大きさは、本書でもまるまる一章を割いて論じているほど、オーケストラの歴史にとっても重要である。特に「苦悩から歓喜へ」といった音楽の流れは、当時の市民革命のメンタリティを裏書きするものといえる。また「交響曲」というスタイルを音楽のど真ん中にもってきたのもベートーヴェンの功績であった。考えてみれば、これほど革命的で斬新な音楽スタイルをただ一人で提供した音楽家は、その後、現代に至るまであらわれていないかもしれない。

その後もオーケストラは、ヨーロッパの歴史と共に変容していく。興味深いのは、それと同時に、オーケストラ(のみならず西洋音楽全般)という「型」が、ヨーロッパの「普遍」を体現するものになっていったという点だ。どういうことかというと、例えばチェコやロシアでは「国民楽派」という人々が登場し、その地域の民謡や伝承を活かしたナショナリティのある音楽をつくった。しかし、それは同時に、ベートーヴェンによって定められた音楽の「型」を踏襲したものであり、例えば交響曲に代わる音楽のスタイルや、オーケストラに代わる独自の編成を導入したわけではなかったのだ。言い換えれば、ヨーロッパ全体に通じる最低限の普遍性がきちんと押さえられているからこそ、その上に民族音楽などの個性的な音楽が花開いたともいえる。

ただ問題は、その「普遍」はあくまでヨーロッパ内における共通事項にすぎなかったにもかかわらず、植民地主義に伴ってそれが海外に「輸出」されたことだった。「一九世紀のヨーロッパは植民地政策を推進する過程で、世界中に平等思想や民主主義、さらにはクラシック音楽というものを伝えていった。たしかにそうした文化や思想は非ヨーロッパ圏においても受容され、「普遍」の力を証明するものとなっている。と同時にその背後に植民地支配という強硬政策、つまりは異なる価値観に対しては力づくで普遍化を図ろうとする戦略も見えている。オーケストラが醸しだす普遍の響きの光と影、それはそのままヨーロッパの光と影の縮図でもあるのだ」(p.141)

こうなってくると、「非ヨーロッパ圏」にもかかわらず、プロ・アマ問わずたくさんのオーケストラを抱えている日本はどうなのか、という点がいささか気になるところであるが、実はオーケストラの歴史を描いた本書において、日本が登場するのはなんと全239ページ中、終わり間際の226ページからなのだ。ちなみに日本最初の「オーケストラ」は、陸軍軍楽隊と宮内庁式部弦楽合奏団の混合編成であったという。それこそ古代ギリシアルネッサンスにさかのぼる、ヨーロッパにおけるオーケストラの歴史の中では、当たり前のことだが、日本はほんの新米にすぎないのだ。

にもかかわらず意外なことに、著者は、今や日本におけるオーケストラはれっきとした「伝統芸能」になっていると指摘する。「明治の過去からすでに一〇〇年以上にわたって日本に存在してきたオーケストラとは、すでに西洋の借り物であるはずはなく、むしろ日本固有のものと化している」(p.238)ここから著者は、オーケストラに目を向けることを通して、日本の伝統文化に目を向けることを提案する。そして、日本の伝統芸能がさらにオーケストラに取り込まれることで、オーケストラ自体にも変化が生まれるかもしれないのだ、と。これは、なかなか面白い。

他にも「プロ」の音楽家の発生、ヨーロッパにおける「機械性」と「精神性」の意外な近さなど、本書にはいろいろ興味深い指摘が満載。雑学的な知識もたくさん載っており、クラシック好きの方なら相当楽しめること請け合いである。また、音楽史とヨーロッパ史との重なりということで言えば、ハイ・カルチャーとしてのクラシック音楽の没落とジャズの出現が、有産市民階級(いわゆる「ブルジョワ」)の没落と労働者階級の台頭と軌を一にしているという指摘など、なかなかハッとさせられるものがある。そんな中で「オーケストラ」という名称も、クラシックの専売特許ではなくなり、「カウント・ベイシー・オーケストラ」「ポール・モーリア・オーケストラ」のようなカタチで変容していくのだ。

まさに、オーケストラの歴史を追っていくと、そこにはみごとにヨーロッパの辿ってきた歴史と思想が浮き彫りになっていく。また、それを浮かび上がらせることこそが、著者の腕前であるというべきだろう。その点、本書の仕立ては見事なもの。読んでいると、いろんな曲を聴きなおしたくなる一冊でもある。