自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1209冊目】サイモン・ウィンチェスター『博士と狂人』

博士と狂人―世界最高の辞書OEDの誕生秘話 (ハヤカワ文庫NF)

博士と狂人―世界最高の辞書OEDの誕生秘話 (ハヤカワ文庫NF)

う〜ん。これはおもしろかった。辞書づくりのプロセスを追ったノンフィクションが、こんなにおもしろくってよいものか。

とはいえ、相手はオックスフォード英語大辞典(OED)。本書によれば、40万を超える語、180万を超える用例を掲載し、完成までに70年を費やしたというバケモノである。その完成に大きく貢献したのが、なんと精神病院に入院していた殺人犯だというのだから、これはおもしろくならないわけがない。

そもそも、辞書の編纂という事業のもつ意味合いが、今と当時では全然違うのだ。OEDの編纂事業が始まった19世紀後半から20世紀初頭の時期は、まさに英国の最盛期。世界各地に植民地が確立し、英国人は世界の支配権を手中におさめつつあった。

それは、英語が世界中に広まり、世界言語となりつつあることをも意味していた。「正しい」英語を普及させることは、広がりつつある大英帝国の支配に不可欠の条件であったのだ。さらに、英語の普及はキリスト教の宣教にも不可欠であった(当時「宣教」と「植民地化」は同時進行だった)。いわば「帝国」と「神」が、正確で網羅的な英語の目録、つまり辞書を必要としていたのだ。

ところが当時の辞書は、いくつかの語を選択的に載せているだけであり、その選定基準も恣意的なものだった。そこで計画されたのが、過去のものを含むすべての言葉と、可能な限りの用例を収録した大辞典の作成。そして、その編纂主幹となったのが、本書の主人公のひとりジェームズ・マレーだったのだ。

マレーは「英語を話し、読む人びとへ」と題した「訴え」をばらまいて、文献閲読者を募った。マレーが求めたのは、膨大な書籍を読み、そこから辞書に載せるべき用例を探し出すという気の遠くなるような作業であった。そして、その「訴え」が偶然に一冊の本に挟まり、精神病院の独房にいたウィリアム・マイナーに届いたことから、「博士」マレーと「狂人」マイナーの奇跡的な交流がはじまったのだ。

マイナーはアメリカ人で、南北戦争にも従軍していたが、その後精神を病んで被害妄想にとりつかれ、何の罪もない男を撃ち殺した。裁判で精神異常が認定され(今なら統合失調症と診断されたことだろう)、刑務所ではなく精神病院に送られたマイナーは、外に出ることもできず暇をもてあまし、読書にふける毎日であった。そこに飛び込んできたマレーの「訴え」は、まさにマイナーにとっては渡りに船の内容だった。

マイナーのとったやり方は、それこそ独房の中で時間を持て余している者にしかできないような、気の遠くなるような方法だった。ふつうは、用語が指定されてから、そのための用例を文献から探すのだが、マイナーはあらかじめ手元の指定文献から膨大な用語リストを作成しておき、マレーによって用語が指定されるや、ただちにその用例を送るようにしたのだ。そのため、マイナーの送る用例はまさにその語を位置づけるにふさわしいピンポイントのもので、しかもトータルの提供件数は数万件に及んだ。マイナーは20年にわたり、マレーのリクエストに応じて「樽から注ぐように」用例を提供し続けたのだ。

ところが、マイナーは自分が精神病院にいることを明かさず、マレーも長きにわたってそのことを知らなかった。まさに「文通」だけで両者はつながりあっており、それでいて、そのつながりこそがOEDの完成を導いたのだった。第1巻が刊行された後、初めてマレーがマイナーのいる精神病院を訪れるシーンは、本書のクライマックスだ。そこで二人の風貌が瓜二つだったという符合も面白い。

結局、マレーもマイナーも辞書の完成を見ることなくこの世を去った。さらに悲痛なのは、マイナーの精神疾患は治らなかったことである。しかも、マイナーが故郷のアメリカに転院し、辞書の編纂から手を引いた後、その症状は悪化した。皮肉なことに、OEDの編纂作業は、マイナー自身の症状緩和にも役立っていたらしいのだ。当時の最高水準の辞書の完成に大きく貢献したにも関わらず、マイナーの遺体は、スラム街のそばの共同墓地に、人知れずひっそり埋葬されたという。

Oxford English Dictionary: Version 3.0