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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1198冊目】角田光代・松尾たいこ『なくしたものたちの国』

せつなさ・いとおしさ・なつかしさ

なくしたものたちの国

なくしたものたちの国

松尾たいこが絵を描いて、そこから着想した物語を、角田光代が書いたという。そうしてできあがった連作短編はどれも、せつなく、ふしぎで、なつかしい。

主人公は、雉田成子という女性である。最初の短篇では小学生。小さいころは動物や植物と話すことができたのに、8歳の夏が終わった日を境に、かれらと言葉が通じなくなる。次の短篇では高校生になっていて、以前飼っていた猫のミケが転生した男子中学生とデートしている。その次は30代の社会人で、妻のある男性を好きになりすぎて、生き霊になってその男性の妻にとりついている。4つ目の短篇では結婚しており、4歳の娘を電車の中に「置き忘れ」てしまうのだが、実は・・・・・・というお話。最後の短篇はその総集編のような作品で、成子は子供の頃の「友達」だったヤギのゆきちゃんと、「なくしたものたち」が収められた倉庫に行く。

現実のようで現実ではない、ファンタジックだけどどこかリアル。そんな奇妙な物語は、どれも「なくしたもの」がテーマになっている。思えば、人はいろんなものを得ることで成長するが、同時に、いろんなものをその過程でなくしている。それは大事なおもちゃであったり、ペットだったり、恋心だったり、ひょっとすると子供だったり、親だったりする。そして、ふだんはみんな、自分が「得た」ものについては覚えていても、「なくしたもの」のことはあまり思い出さない。しかし、それは決して消滅したわけではなく、それこそどこか「なくしたものたちの国」で眠っていて、ちょっとしたきっかけで、ひょっこりコチラに顔を出したりする。

本書はその「なくしたもの」とのものがたりを描いた一冊だ。「なくしたもの」にまつわるせつなさ、いとおしさを、とてもうまく描き出している。そういえば私自身も、これまでの人生、いろんなものを「なくして」きたんだなあ、と思ってしまう、そんなお話。たしかに、私が今までなくしたものを一堂に収めた保管庫があるなら、一度行ってみたい・・・・・・けど、なんだか、行ったら戻れないような気もするけど。だって今の人生は、そうやってなくしたものの上にできあがっているのだから。そこに戻ってしまったら、今の人生そのものがなくなってしまいそうだ。

でもそうじゃない、と教えてくれるのが最後の一篇。ややネタバレ気味かもしれないが、この短いお話のなかで著者が教えてくれるのは、なくしたものは姿を変えて、また私たちの前にあらわれるのだ、ということ。過去は未来につながっている。失ったものはまた現れる。それでよいのだ、そういうものよ、と。う〜ん、これは、なかなか深い。

物語のことばかり書いてしまったが、実はこの本、松尾たいこの絵を抜きに語ることはできない。それぞれの短篇の前に、着想のもとになった絵が何枚か置かれている。描かれている内容がそのまま物語になっているわけではないが(絵を見てストーリーを予測しようとしても、たぶん外れる)、絵自体に、何か触発されるもの、想像力をかきたてられるものがある。

この人の絵といえば、私にとっては河出書房新社の「奇想コレクション」シリーズの表紙というイメージが強いのだが、幻想的で不思議な味わいの絵ばかり。黒目ばかりの目がちょっとコワイが、忘れがたく、そしてどこか懐かしいイメージは、まさに物語とぴったり合っている。絵と小説が幸福な結婚を果たしたような、ちょっと不思議な短編集。