自治体職員の読書ノート

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【1197冊目】佐々木能章『ライプニッツ術』

ライプニッツ術―モナドは世界を編集する

ライプニッツ術―モナドは世界を編集する

このあいだ読んだノイバウアーの『アルス・コンビナトリア』からは、いろんな意味で触発された。中でも面白さを感じたのが、ライプニッツの結合術。以前「モナドロジー」を読んで手も足も出ず、私には到底届かない存在とあきらめ半分だったのだが、『アルス・コンビナトリア』の解説を読み、なんとなく入り口が見えたような気がした。

ということで今回手に取ったのが、前々から気になっていたこの一冊。なんといっても、『ライプニッツ著作集』刊行という壮挙に踏み切った工作舎が版元である。発行のタイミングからしても、おそらく「著作集」への入門書、手ほどきの書といった位置づけと思われる。

開いてみると、冒頭には「ライプニッツ・マップ」と題した2枚の地図がライプニッツの移動の軌跡を描いており、本文の後には「1702年密着取材」として、多忙多彩きわまりないライプニッツの1702年の日々が綴られている。本文は、フォントの小ささがややとっつきづらいが、ライプニッツの人となりや人生と思想内容を重ね合わせるような著述の仕方が、初学者にはたいへん入りやすい。また、注釈が充実しているのも良い。

それにしても、読んでみてあらためて思い知ったのが、ライプニッツの思想や活動の幅のすさまじい広さ。
『アルス・コンビナトリア』で書かれた、「数」で世界を表象した結合術「人間思想のためのアルファベット」も面白いが、それは氷山の一角にすぎないようだ。なにしろ神学と近代科学を結びつけ、宇宙からモナドという最小単位の存在にまで目を配り、革新的な保険制度を考え出し、四則演算が可能な計算機をデザインし、水車と風車を兼ねた機械を提案し、鉱山開発に携わり、図書館の司書を40年にわたって務め、その間に膨大な数の手紙を書きまくったのだ。

著者が「マルチタスキング」と評しているが、まさにそのとおり。飛行機とネットとモバイルがある現代ならいざしらず、馬車と羽根ペンの17〜18世紀にこれほどの活動を行っていたということが、まず信じがたい。しかももっとすごいことに、その思索や活動の内容は、そのすべてが関係づけられ、一つの巨大な世界観を織り成していたのである。著者はこう書いている。

「もっと重要なライプニッツの特徴は、幅広い活動が互いに絡み合っているところにある。単にあれもこれもこなしていただけではなく、『あれ』と『これ』との間に何らかのつながりを求めようとしていたのである。そのためだろうか、ライプニッツを読んでいるとしばしば不意打ちを食らう。・・・(略)・・・このような不意打ちを生み出す手法は、実はライプニッツの思想の核心に関わっているのではないかと私は思うようになってきた。それは、絶えず視点をずらしていくという発想の仕方と、そうして捉えられる対象がまた互いに密接にかかわり合った全体をなしているはずだという世界観の両面に見ることができる。一本の糸を順にたぐり寄せていくような仕方ではなく、方々に張りめぐらせたネットワークの中で存在を捉えようとしている」(p.9〜10)

この指摘には、ある意味、ライプニッツの本質が詰まっているように思う。そこでは、一見無関係なもの同士に思わぬ関係線が引かれ、自分と世界はつながりあい(というか、自分こそが世界の一部なのであるが)、当然ながら、自然科学と人文科学のような「無意味な」分け隔ても存在しない。そうした世界観こそがライプニッツの思想の根幹であり、宇宙論から計算機に及ぶ多様多彩な思索と活動は、その枝葉にすぎないのだ。

しかし、こう考えていくとどうしてもひっかかる存在が出てくる。それが、「神」の存在である。ライプニッツはこの世界観のなかで、神をどう位置づけているのか。

そういえば、以前、ライプニッツの著作を読んだとき、もっとも理解に苦しんだのが、徹底した論理世界を構築しようとしているかに見えるライプニッツが、そこに「神」を登場させ、君臨させていることだった。デカルトはまだしも、徹底的な懐疑のうちに自己を見出し、そこから神の存在を論理的に導き出していた。それに比べて、ライプニッツの「神の扱い方」はどうもよく飲み込めなかった。

そのあたりのもやもやが、本書ではかなりすっきりした。もっとも、ライプニッツはほかにも「弁神論」という大著があり、そこで文字通り、神についてたっぷり論じられているらしいので、以上はあくまで入り口段階での理解ということになるのだが。

その限りの理解で言うと、ライプニッツの論ずる「神」は、決して無限定な絶対的存在ではないらしい。例えば「論理や数学の領域は絶対的に真理性が保証されていて、神と言えどもおかすことはできない」(p.136)。したがって、神は無数のありうべき世界(可能世界)から最善の世界を選ぶだけであり、しかもその選定にあたり、神は「予め用意された計算方式を用いるだけ」(p.137)なのだという。となると、そもそもその世界観には「神」は必要なのか、という疑問も出てくるわけだが、これについては非常にややこしいので省略。

こんなことばかり書いているとえらく難解な本に思われてしまいそうだが、本書にはそういう「おカタイ」話だけではなく、少年時代のエピソードや鉱山開発での失敗談など、人間的な側面もいろいろ盛り込まれており、読んでいるとライプニッツという一見コワモテの思想家の、なかなかにチャーミングな側面も見えてくる。ちなみに、個人的にライプニッツに親しみを感じたのは、自分のものを「捨てられない」人であり、メモや手紙や書類も、整理できず乱雑に積み上げたままだったというところ。「断捨離」とはほど遠い人物だったようだ。よしよし。明日から私の机の上のことは「ライプニッツ状態」と自称するようにしよう。

アルス・コンビナトリア―象徴主義と記号論理学 論理学 (ライプニッツ著作集) ライプニッツ著作集 (6) 宗教哲学『弁神論』 上