自治体職員の読書ノート

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【1192冊目】ジョン・ノイバウアー『アルス・コンビナトリア』

アルス・コンビナトリア―象徴主義と記号論理学

アルス・コンビナトリア―象徴主義と記号論理学

「天が下に新しいものはなし」という。すべてのオリジナリティは既知の要素の組み合わせである。とすると、この「要素」と「組み合わせ方法」を用意することで、世界のすべてを記述することができるのではないか。


そんな観点から世界を読み解こうとした「機械主義の系譜」(訳者あとがきより)がヨーロッパにはあった。それがアルス・コンビナトリア(結合術)である。本書は、その詳細な歴史を追った一冊だ。


アルス・コンビナトリアの歴史は古く、古代ローマルクレティウスにさかのぼる。しかし、実際に中世ヨーロッパで支配的となったのは、ライムンドゥス・ルルスによって築き上げられた「ルルスの術」だった。


ルルスは、「それ以上の分析を許さない9個の絶対的原理」を提示し、その組み合わせによって世界を記述しようとした。例えば、本書21頁に掲げられた「第一の図表」では、神の属性(本書では「属徴」)である善・偉大さ・持続・力・知恵・意志・徳・真理・栄誉の9つを円環状に配置し、これを主語−述語として組み合わせることで、神の創造になるもの(つまりはこの世界)すべてが示されるとした(他にも「3つの組み合わせ」「総当たり式」「3重の円環」などの図表が用意された)。


この「ルルスの術」は、ルネサンスからバロックに至るまで君臨した規範であった。そして、これに影響されたのがデカルトフランシス・ベーコンであり、批判的継承者となったのがライプニッツだった。


ベーコンは、ここから体系的な知としての「学問の樹」のイメージを得ることとなり、それがディドロとダランベールの「百科全書」に波及した。ライプニッツは、ルルスが文字として表現した各要素を数字に置きかえて数量化を図り、「人間思想のためのアルファベット」という発想に基づき記号論理学の基礎を築いた。かつて私が読んでまったく歯が立たなかった「モナドロジー」は、モナドを最小単位とした、ライプニッツの結合術を記したものだったのだ。


もっとも、アルス・コンビナトリアは、単なる論理と理性の所有物ではない。「ルルスの術」はカバラや新プラトン主義などの神秘主義と結びつき、ライプニッツ以降の結合術の流れは、なんとロマン主義文学に受け継がれていたのである。特にびっくりしたのは、このあいだ『青い花』を読んで感銘を受けたノヴァーリスが、実はこの結合術に基づく詩作を行っていたという指摘。


もっとも、ノヴァーリスらロマン派の作家にとって、そもそも詩作と科学は別物ではなかったのだ。今ではこの両者は「理系」「文系」に分けられてしまっているが、当時、この二つはきわめて近しい存在だった。そして、詩と数理を結び合わせる基礎を用意したのがアルス・コンビナトリアであり、それがリアルな形で結実したのが「書物」であった。


「書物は科学とポエジーを体現する。諸学の統一が規定のことであるのなら、あらゆる学問がただひとつの書物をつくりあげるのでなければならない。この唯一の書物の中にはいわば『普遍宇宙』が見つかるはずだ。真の百科全書はしたがって、『書物の中の書物』、普遍宇宙の鍵、始原の理想書物であり、聖書に近接する。聖書と違うのはただ形とスタイルだけである。ロマン派文学には、こういう英知の書物がしばしば登場し、話の筋書きのキー・ポイントを占める」(p.109)


詩作と数学・論理学をひとつながりのものとして考え、そこにアルス・コンビナトリアを発動させるノヴァーリスの方法は、やがてカフカマラルメ、ヴァレリーらの文学や思想につながっていく。ということは、中世から近代に至るヨーロッパの思想や文芸の世界を解き明かすにあたって、アルス・コンビナトリアはきわめて重要なカギを握っていることになる。


いずれにせよ、結合術の歴史を見て思うのは、オリジナリティなどというものがいかにいかがわしいものであるか、ということだ。こう書くと、それでも有限の要素の組み合わせ方の中に独創性を発揮する余地があるはずだ、と反論する方もおられよう。確かに、エドガー・アラン・ポーはこう言っている。「オリジナルであるとは、注意深く忍耐強く工夫を凝らして組み合わせることだというのに」(p.9) しかし、そうではないケースもあるという。本書にはこうも書かれているのだ。


ノヴァーリスは『われわれの中にある文学行為』について語る。それは『必然の感じにともなわれる』が、外部から強制されるわけではない。『まるで会話の最中に何かにとらえられる感じである。何らかの未知の霊的存在が人間を不思議な仕方で明瞭このうえない思考へ展開させてくれる』」(p.209)


すぐれた作家は、「自分の意思で書く」のではなく、「何かに書かされる」と思える時があるという。というより、本書を読むと、むしろそれこそが作家の「本道」であることが分かる。そして、天の配剤によって書かれた作品は、結果として個々の単語と文章が結合し、アルス・コンビナトリアとしての世界表現になっているのだ。

モナドロジー・形而上学叙説 (中公クラシックス) 青い花 (岩波文庫)