自治体職員の読書ノート

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【1188冊目】マーク・トウェイン『ハックルベリ・フィンの冒険』

ハックルベリ・フィンの冒険―トウェイン完訳コレクション (角川文庫)

ハックルベリ・フィンの冒険―トウェイン完訳コレクション (角川文庫)

「トム・ソーヤー」は愛読書だったのに、なぜかこの本はスルーしていた。う〜ん。なんでこの本を、子供の頃に読んでおかなかったんだろう。


いまさらではあるが、この本は大人になってから読むのでは手遅れだ。子供にしか感じ取れない周波数で書いてあるのを感じる。ハックルベリの自由で素直な精神、その勇気と機転、そしてその根底にある、温かい心。まさに「不良」の元型である。むくわれない境遇の中で、自由な精神と面倒見の良さをもち、一見つっぱっているが、思いのほかやさしくて一本気なヤツが、今はどうか知らないが、かつては私の周りにもいたものだ。その精神は、まさにハックルベリの精神なのだ。


父親はろくでなしののんだくれ。思いもよらぬことで大金が手に入ったハックルベリ(以下ハック)のもとに現れた「お父」は、その金をせしめようと、ハックを小屋に閉じ込める。そこから脱出したハックは、奴隷として売られそうになっている黒人少年ジムと共にイカダに乗って、ミシシッピ川を下ることに。本書が描いているのは、その波乱万丈の旅路である。


様々な思惑と欲望に凝り固まったオトナたちの元に時には身を寄せつつ、ハックとジムはやはりミシシッピに戻ってくる。そこは彼らのための自由の新天地であり、戻るべき場所。そんな場所を持っているからこそ、ハックは逃亡奴隷として追われるジムを守り、自らの「不良道」をつらぬきとおす。


「よし、それなら、オレは地獄に行こう」(p.467)


ジムを逃亡奴隷として大人に突きだすか、あくまで友達としてかばい切るか。アメリカに奴隷制度があった当時の価値観では「道徳的に正しい行為」は、もちろん前者。しかし、ハックは「正しい」ことをして天国に行くより、あえて友達としてジムを守ることを決意する。そのときのつぶやきが、上のセリフだ。このくだりこそ、私が子供時代の私に読ませたかった本書の真骨頂だった。


そんな柔らかな少年の魂をもっているからこそ、かつて同道していた詐欺師の二人がリンチに遭い、さらしものにされているのを見たハックは、嫌悪感を隠さない。大人たちは不良や「悪いやつ」を非難するが、実は品行方正な善人のような顔をしている大人たち自身が、もっとも悪いこと、残酷なことをしているのだ。そのことをハックの目は見抜いている。


「人間ってぇものは、すごく惨たらしいことができるもんだ。人間同士で互いにな」(p.502)


語り口の多様さ、巧妙に織り込まれている古典や聖書のフレーズ、ダジャレ、ユーモア、言葉遊び……。その「語りの業」もまたすばらしい。読んでいて井上ひさしを思い出したが、もちろんトウェインのほうが「元祖」であり、井上ひさしこそ、その語りとユーモア、そして引用と編集の感覚をトウェインから引き継いだ作家であったのだろう。今はその系譜を、いったい誰が継いでいるのだろうか。