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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1185冊目】岩田温『逆説の政治哲学』

国家・市場・労働

逆説の政治哲学 (ベスト新書)

逆説の政治哲学 (ベスト新書)

「自治体法務の備忘録」のkei-zuさんが紹介されていたので、気になって読んでみた。教えていただきありがとうございます。


さて、本書は、実際に起きた事件や現象などをテーマに設定し、そこに歴史上の思想家や作家などの言葉をぶつけることによって、リアルな問題を考えるというスタンスを取っている。靖国参拝に対して古代ギリシャトゥキディデスポル・ポト革命に対してメッテルニヒヒトラーの出現に対してプラトン、といった具合だ。


まず、この方法自体がたいへん面白い。現実に起きている事象が、実は意外な普遍性をもっていることに気づかされる一方、難解にみえてとっつきづらい思想家の言葉が、現実の事例の解釈に使われることで「生きた」思想として理解できる。一石二鳥の手際である。


本書の著者は自らを「保守主義」と規定する。著者によれば、保守主義とは「垂直的共同体としての国家を強く意識し、守ろうとする立場」(p.74)とのこと。ここで「垂直」とは、時間軸を指す。つまり、国家というものを、過去の歴史や伝統から現在を経て未来に至るまでのひとつながりのものと考える立場である。


したがって、政治体制に対する立場も、既存の体制や伝統を守りつつ、どうしても変革すべき部分のみを慎重に変えていくというスタンスになる。それはまた、人間の理性を過度に信頼しないという立場でもある。これに対して、過去の政治体制を一挙に変革する立場を、著者は「設計主義」と呼ぶ。まあ、建物を全部ぶっ壊して更地の上に新しい建物を建てるのが設計主義、部分リフォームを繰り返すのが保守主義のようなものか。


フランス革命ロシア革命文化大革命ポル・ポト革命などはすべて、こうした「設計主義」に基づく政治体制の変更であった。こうした極端な改革は「必然的に」暴力を伴い、したがっておびただしい血が流れる、というのが著者の主張だ。それが本書のサブタイトルである「正義が人を殺すとき」という逆説につながってくる。たしかに、歴史上の極端な虐殺や粛清は、ほとんどすべて「正義」の名のもとに行われてきた。だからこそ、保守主義者はこうしたドラスティックな「政治体制一新」を忌避し、たとえ遅々として鈍い動きに見えても、漸進的な改革を良しとするのだという。


他にも本書には、全体主義ナショナリズム、さらには個人の生き方に関わる部分まで、きわめて幅広い議論が収められており、政治というものの射程の広さと奥の深さを感じさせてくれる。個人的には、著者の靖国参拝や特攻隊に対する考え方、リベラリズムに対するスタンス(「保守主義」と「設計主義」の二項対立に議論が矮小化されているような印象を受けた)など、立場や考え方を異にする部分がかなり見受けられたのだが、しかしそれ以上に、本書の問題提起から思考が広がり、刺激を受ける部分が多かった。


ということは、やはりこれはスグレモノの一冊なのだ。政治というものの姿が明確に分かるとまではいかないが、いろいろなテーマから照射されることで、その怪物的な全体像が、おぼろげながら見えてくる。ちなみに、kei-zuさんはプラトンが気になったらしいが、私が読みたくなったのは、カール・シュミットエドマンド・バークキケロー。特にバークの保守思想はとても気になった。日本政治の読み解きにも使えそうだ。