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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1175冊目】アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ『チェーホフ短編集』

人類・人間・人生

チェーホフ短篇集 (ちくま文庫)

チェーホフ短篇集 (ちくま文庫)

恋愛や結婚をテーマにした12編、「芝居がはねて」「少年たち」「金のかかるレッスン」「くちづけ」「国語の教師」「アリアードナ」「頸にかけたアンナ」「中二階のある家」「知人のところで」「イオーヌイチ」「かわいいひと」「犬を連れた奥さん」を収める。


最初にチェーホフの小説(たしか「六号病棟」の入った短編集)を読んだのは、たしか大学生の頃だったような。その時は、ロシア独特の風物や習慣、登場人物の気取った言い回し(これは翻訳のせいもあるかもしれない)ばかりがやたらに鼻について、なかなか内容に入っていけなかったような記憶がある。


ところが今回は、違う短編集ではあるものの、「ロシア臭さ」がそれほど気にならず、むしろそこに描かれた男女の恋愛の機微や結婚生活の倦怠が、すごく身近な話題に感じられ、親しみを覚えながら読んだ。いわば最初の頃は「違う点」ばかりが目についたのだが、今は「共通点」のほうに強く共振した。不思議だ。


ひょっとすると、自分自身が結婚したり社会生活を送ってきたことで、小説の内容と共鳴するような体験をもってきたからだろうか。少なくとも、本書に書かれているような結婚生活の雰囲気とか独特の倦怠感と緊張感のブレンドされた空気は、自分で経験していないと感じ取れないように思われる。


こんなふうに書くと、まるで自分の経験を主人公に投影し、男性の立場に感情移入しながら読んだような感じだが、実は今回、読みながら自分でもちょっと意外だったのは、女性視点で書かれた作品が、とても面白く感じられたことだった。なんというか、「よくあるタイプ」なのだが、その実何を考えているのかよくわからない(元々女性の方々はみなさん、何をお考えなのか測りがたいことがしょっちゅうなのだが……)女性の内面が、内側からみごとに照射されているので、すごく納得感があったのだ。


それは例えば「芝居がはねて」で描写された少女のくすぐったいような感情描写であったり、「頸にかけたアンナ」の、結婚相手のはるか年上の男に怖気づいていた女性が「年の離れた夫が身近にいることがいささかも自分を卑しめぬばかりか、かえって男ごころをそそらずにはいられない神秘の刻印を自分に捺すものだと本能的に覚った」瞬間、脱皮でもしたかのように変貌し、夫を支配するようにさえなってしまうところであったり、そしてこの12篇の中でも多分ベストワンの一篇「かわいいひと」の、夫に追随してばかりいるうちに自分の意見や感情を失ってしまった女性が、追随すべき夫を失ってしまった瞬間から直面した空恐ろしいほどの空虚な内面であったりするわけだが、まさにここで描かれているのは「一人の個性ある人間であり、同時にひとつの典型」そのものなのだ。


このことは、もちろん男性の登場人物にも言えるのであって、言い古された表現ではあるが、そうした「人間を描く」巧さには、今読み直してみて、あらためて舌を巻かざるをえない。大人向けの、ユニークでちょっとほろ苦い、絶妙のオードブルの連作。そんな印象の一冊。