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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1168冊目】加藤徹『西太后』

歴史・文化・民俗

西太后―大清帝国最後の光芒 (中公新書)

西太后―大清帝国最後の光芒 (中公新書)

浅田次郎の『中原の虹』を読んで一番気になった人物、西太后について知りたくて読んだ。もっとも、それとは別に、この著者の本はとても良い、と聞いていたので、そのへんも確かめたかったのだが……で、結論から言うと、すばらしい一冊だった。中国近代史を、しかもノンフィクションで、こんなに面白く読めるとは思わなかった。

たぶん、著者はものすごい博識なのだと思う。本書にも、あっと驚くような知識が、そのへんにポンと置くような無造作ぶりでちりばめられている。しかし、それが単に知識のひけらかしに終わっていない。知識をあくまでツールとして使いつつ、的確な構成と分かりやすい文章で、見事に西太后という「希代の人物」の本質をえぐりだし、返す刀で近代中国の本質(もっというなら中国という「存在」の本質)をあぶりだしてみせる。

本書の中心となっているのは、やはり西太后という人物のたどった軌跡である。生涯にわたり、波乱万丈、苦難の連続の人生であったことがよく分かる。なにしろ西太后の時代と言えば、アヘン戦争やアロー戦争に始まり、太平天国の乱、清仏戦争日清戦争義和団の乱……と、とにかく内政も外交もめちゃめちゃ大変な、中国史の中でも有数の「危機の時代」であった。その中で40年以上にわたって実権を握り、しかも宮廷闘争の主役を演じつつ、政治の最前線に立って瀕死の清朝をなんとか最後まで持たせたのだから、考えてみればとてつもない政治的手腕である。

その凄みをもっとも感じたのは、老年に達してからのエピソード。清朝が列強と戦火を交え、西太后が北京の紫禁城を捨てて西安に逃げ出した時のことだ。なんとその逃避行の間に、西太后は全国から集まる税収を、北京ではなくその逃避行先(最終的には西安)に集中させたのだ。普通なら行政費用として、首都の北京に集め、そこから全国で使われなければならないはずなのに。しかし、西太后は自らの所在地に財貨を集め、逃げ回っている最中にも関わらず、それをふんだんに使って豪奢な生活を続けたのだ。

普通に考えれば、国家を預かる者が首都を逃げ出すだけでもとんでもないのに、加えて大金(しかも国民の血税だ)を集めて湯水のように使っているのだから、まったくもって言語道断である。しかし本書によると、こうした行為によって西太后は、「自分がいまだカリスマであり、『甘い汁の循環』のポンプであることを国の内外に見せつけた」のだという。実際、列強諸国は西太后の健在ぶりに注目せざるを得なくなり、西太后の力なくして中国の統治は不可能であることを認めることになってしまった。再び本書の言葉を引用すれば「彼女(西太后)は全国民の膏血によって、清朝の存続を勝ち得た」のだった。

中国には中国独自の政治システムがある。それは表向きの制度ではなく、裏を流れる「甘い汁の循環」によって成り立っている。そのシステムを熟知し、その中心にいたことこそが、西太后の力の源泉であり、結果として清朝という国家そのものを存続させた要石であった。西太后の死後のていたらくについて、著者はこう書いている。「すでに二百数十年も続いた清朝は、朽ちかけた大樹だった。内側は腐り、大きなうろが空いていた。しかしその樹皮にはまだ甘い樹液が通っていた。西太后が生前決して絶やさなかった「甘い汁の循環」さえ保てば、樹液にたかる虫たちに守られて、清朝の命脈は永遠に続くように見えた。しかし小粒な後継者たちは、その樹液を自ら止めてしまった」(p.266)……清廉潔白な政治がかえって国を滅ぼすこともあるという、良い見本である。

それにしても、どうやら清朝、特に西太后の時代というのは、現代の中国人にとってもひとつの「原点」であるらしい。著者によれば、特に西太后の時代が、今の中国人の意識をかなりの部分規定している。象徴的なのが「中国」という概念の誕生である。西洋や日本の侵略を受けて、初めて「中国」「中国人」という明確な概念が生まれたのだという。

そして、その版図もまた同じ。台湾、香港、新疆、チベット、そして今問題になっている尖閣諸島などを、なぜ彼らは中国固有の領土と主張するのか。それは、もちろん海底資源の問題などの生臭い要因もあるだろうが、基本的には「清の版図に含まれていたから」である(モンゴルは例外だが)。「現代中国の国家戦略を一言で要約すると、『世界における中国の存在感を、西太后以前に戻すこと」(p.6)であると、著者は断言する。だからこそまた、西太后の存在は中国を理解する上できわめて重要なのである。

他にも本書には、中国人からみた日本のありよう、特に「反日」の起源が日清戦争にあること、なぜ反英や反ロシアにはならず「反日」ばかりがクローズアップされるのか、についても詳しく書かれている。また、日本と中国の近代化の仕方の違いについても目からウロコの説明がある(ヒントは「和魂洋才」と「中体西用」)。西太后についての本でありながら…というか、だからこそ、本書は「厄介な隣人」である現代中国を知る上で極めて重要な一冊。オススメ。

中原の虹 (1) (講談社文庫)