自治体職員の読書ノート

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【1164冊目】スティーヴン・ジェイ・グールド『ダーウィン以来』

ダーウィン以来―進化論への招待 (ハヤカワ文庫NF)

ダーウィン以来―進化論への招待 (ハヤカワ文庫NF)

グールドの科学エッセイはおもしろい。どれを読んでも、絶妙のウィットと、一級のユーモアと、そして目からウロコがぼろぼろ落ちるほどの発見がある。本書はその最初の一冊。1977年に刊行されたもので、書かれている知識の一部はたぶん古くなっているのかもしれないが、少なくともその内容と主張にはまったく古さを感じない。

まずびっくりしたのは、ダーウィンは「進化」(evolution)という言葉を使わなかった、というグールドの指摘だった。むしろ「進化論の父ダーウィンは、生物進化は諸生物とその環境との間の適応を増大させる方向に進んだだけであって、構造の複雑さとか異質性の増大とかいうことによって定義される進歩という抽象的な理想に進んだのではない、高等とか下等とかは決していうな、とほとんどただ一人で主張していた」(p.53〜54)というのだ。なるほど。

考えてみれば、「進化」という訳語がすでにまぎらわしい。そこには、生物は下等なものから高等なものへと「高められてきた」というニュアンスが見え隠れする。ちなみに、そうした「進化=進歩」という考え方をする人は、その頂点に当然のごとく「人間」を置く。著者が引用するダーウィンの見解を引用するなら、それは「人間を中心に考える偏見の中でも最も悪質なもの」なのである。

その考え方がヘンな方向に発展すると、どうなるか。その実例が、本書で厳しく批判されている「進化論の人種差別への適用」である。

確かに、人類は地域によって多様性をもっている。しかしそれは、あくまで「地理的変異性」であって、人種ではない。ましてや、そこに進化論をあてはめ、「猿に近い劣等人種」と「高度に進化した高等人種」として理解するなど、とんでもない錯誤である。しかしながら、こうした愚かしい人種差別の「科学」は、つい最近まで(ひょっとすると、今でも)大手を振ってまかり通っていたのだ。進化論のもつ危うさの一例である。著者は、この問題をその後も繰り返し取り上げている。その集大成は『人間の測りまちがい』という著作になっている。

ほかにも、かのカンブリア大爆発のこと(これは、近いうち『ワンダフル・ライフ』を読むつもりなので、その時に書きたい)、大陸移動説と大量絶滅の話など、本書には気になるトピックがいろいろ載っている。

特に興味深かったのは、人間の「発達遅滞」の問題。著者によると、人間は「早く産まれすぎている」のだという。ヒトの妊娠期間は、産まれてからの発育速度にくらべて著しく短い(ヒトの成長ペースから逆算すると、妊娠期間に7、8ヶ月から1年を追加しないと割に合わないのだそうだ)。

早く産まれすぎる理由は、明らかに脳の発達だ。出生時のヒトの脳は、最終的な大きさの4分の1にすぎないらしい。その時点で産まないと、胎児が産道を通れなくなるからだ(今でさえ、出産で一番大変なのは「頭」が外に出てくるまでである)。

その結果、ヒトは「胎児として産まれてくる」。ヒトの赤ん坊の発育パターンは、生後1年もの間、霊長類の胎児の発育パターンと同じなのだという。そして、その「遅れ」は、結局生涯取り戻せない。ヒトは幼児期が際立って長く、成人になってさえ、「いくつかの重要な点に関して、祖先である霊長類の幼期の形質を保持している」(p.110〜111)のだ。いわゆる「ネオテニー」という現象である。

さらにこの発達遅滞は、ヒトを「学習する生物」にした。またまたグールドを引用すると、「ヒトは自分たちの学習を強化するために、その性成熟を遅らせて幼児期を引き延ばした」(p.104)のだ。ヒトの本質が「幼さ」にあるなんて、なかなかおもしろいと思いませんか?


人間の測りまちがい〈上〉―差別の科学史 (河出文庫) 人間の測りまちがい 下―差別の科学史 (2) (河出文庫 ク 8-2) ワンダフル・ライフ―バージェス頁岩と生物進化の物語 (ハヤカワ文庫NF)