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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1158冊目】赤坂憲雄・小熊英二・山内明美『「東北」再生』

地域・公共・共同体

「東北」再生―その土地をはじまりの場所へ

「東北」再生―その土地をはじまりの場所へ

今年5月に行われた鼎談がベースになっている。タイトルの、カギカッコにくくられた「東北」が、読み終えてみるとイミシンに思える。

「東北学」を提唱する赤坂氏は、震災後まず「なんだ、東北って植民地だったのか、まだ植民地だったんだ」と思ったそうだ。「かつて東北は、東京にコメと兵隊と女郎をさしだしてきました。そしていまは、東京に食料と部品と電力を貢物としてさしだし、迷惑施設を補助金とひきかえに引き受けている。そういう土地だったのかと」(p.15)

この指摘は痛烈だった。東北という地域固有の歴史、常に「中央」によって収奪され、飢饉におびえてきた負の歴史は、実は終わっていなかったということを、この一文で突き付けられた。地震津波、そして原発事故が、そのことをあからさまにした。それはただ、表向きの「高度成長」以降の繁栄の中で隠されていただけだったのだ。

一方、震災をめぐる事態は、相変わらず東京中心に動いている。小熊氏は、阪神大震災の時に起こらなかった「がんばろう日本」という声が今回出たのは、「東京の政治家やビジネスマンやマスメディア関連の人たちも揺れて、放射能の危険を感じたからではないかな、と思っています」(p.90)と語る。「また原発を福島に、基地を沖縄に押しつけておいて、なにが「がんばれ日本」だ」(p.91)という指摘は、まったくそのとおりだと思う。ついでに言えば、「東北地方太平洋沖地震」が「東日本大震災」となり、「東北」が消えてしまったのは、どういうワケなのか知らないが、非常に残念なことだった。

とはいえ、メディアや「知識人」たちが意図的に東北や沖縄とおとしめている、ということではないのだろう。むしろ、無意識に「東京=日本」のような図式で物事をとらえることが当たり前になってしまっているから、こういった事態になると、そういう無自覚的な東京中心主義がだだ漏れになってしまうのだ。確かに原発をめぐる報道でも、全国ネットのニュースなのに「東京は安全か」という点ばかりがやたらにクローズアップされていた。それに即座に違和感を感じられなかった私もまた、同類ということか。

今回起きた震災とは、そしてそれと切り離すことのできない「原発事故」とは、いったいなんだったのか。被災地とは何か。復興とは何なのか。東北とは日本にとって何だったのか。そして、単に過去に戻るだけではない未来の構図を、どのように描いていけばよいのか。その「問い」を抱え続けることこそが、本当は大事なのだろう。震災の後、あまりのことに呆然となり、何も手につかなかったあの日のことを、私たちはまだまだ忘れてはならないのではなかろうか。

東北学 忘れられた東北 (講談社学術文庫)