自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1156冊目】キム・ステルレルニー『ドーキンスVSグールド』

ドーキンス VS グールド (ちくま学芸文庫)

ドーキンス VS グールド (ちくま学芸文庫)

ドーキンスを読むとドーキンスに納得し、グールドを読むとグールドに惹かれる。

そんないい加減なミーハー読者としては、本書を批評して「ダーウィン・ウォーズ」に決着を着けるなどオソレオオイ。amazonのレビューを見ると本書の「欠陥」がいくつか指摘してあるが、残念ながらその妥当性を判断する力もない。ただただ、ひとつの科学読み物として楽しむのみであった。

もっとも、この手の論争決着型の本が「楽しめる」というのは、やはり書き手の力量ゆえというべきだろう。実際、本書はドーキンスとグールドの比較をしつつ、その見解の「ズレ」を通して生物学そのものの魅力を伝えることにもある程度成功しているように思われる。なかなかできることではない。

とはいえ、この本の内容に触れるには、やはり両者の主張や議論について触れないわけにはいかない。まあ、そういう「試練」を自分に課すことで読書に「大リーグ養成ギブス」をはめているのがこの読書ノートの意図のひとつなのだが、それはともかく、素人理解として分かった限りで言うならば、両者の相違点の中でポイントになるのは次の点であるようだ。

すなわち、ドーキンスが進化のプロセスをあくまで漸進的に捉え、生き残るべき遺伝子はしかるべくして生き残ると考えるのに対して、グールドは「断続平衡説」を提唱し、ある時期に一斉に進化が起きたこと、その中で偶発性を重視した(今生き残っている遺伝子は「優れているから」ではなく「たまたま」生き残った)。もちろんその主張は「程度問題」であり、ドーキンスが進化の偶発性をすべて否定したわけではないし、グールドも進化の漸進性を否定してはいない。

中でも気になるのは、カンブリア紀の「生命大爆発」だ。これはグールド側の主張に属する内容になるのだが、カンブリア紀に突然起きた大規模な進化的拡散で、「主要な動物グループの大部分が同時に出現した」(p.111)のは、やはりタダゴトではない。しかも、驚くべきことに現在の生態系は、カンブリア紀に一挙に出現し、地球上にあふれ返った生物の多くが失われ、絶滅した結果だというのである。この見解によれば、進化のプロセスは「徐々に拡散し、多様化する」のではなく、「一挙に拡散・多様化した後、絞り込まれた(淘汰された)」ということになる。

もちろんそれに対するドーキンス側の反論もあるわけだが、いずれにせよ、やはりこの「カンブリア大爆発」はすごく面白い。いったいこれって何なのか。進化って、いったい何なんだろう。次は、そろそろグールドの本を読みなおしてみようかな。