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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1150冊目】ジョック・ヤング『後期近代の眩暈』

後期近代の眩暈―排除から過剰包摂へ

後期近代の眩暈―排除から過剰包摂へ

以前読んだ「排除型社会」に続く一冊。副題は「排除から過剰包摂へ」となっているが、べつに排除型社会が解消したということではない。むしろ社会的な排除は、きわめて見えづらく、また複雑化している。本書はその具体的な様相をあきらかにする一冊。

排除の中でも特に問題なのは、社会的に排除されている人々、具体的には貧困層が、文化的にはその社会にしっかりと取り込まれつつ、同時に排除されているということ。少し長いが、引用する。

「そこはアメリカンドリームで溢れていた。グッチ、BMWナイキの虜にされ、一日に11時間テレビを視聴し、主流文化の暴力への強迫観念を共有し、ブッシュの湾岸戦争を支持し、映画館に入りきらないほど行列し、成功や金や富を崇拝する、そんな文化である。そこでは社会全体の人種差別主義でさえもが歪んだかたちで共有されていた。ゲットーの問題は、単に排除されるプロセスにあるのではなかった。むしろ問題は、強力すぎるほどに文化的に包摂されているにもかかわらず、そうした文化がふりまくイメージを実現することから系統的に排除されていることにあった」(p.56)

この逆説的な状況こそが、著者のいう「過剰包摂」である。そしてこの状況、まるで日本のことを言っているような印象を受けないだろうか。長時間のテレビ視聴、ブランド信仰、勝ち組崇拝などへの取り込まれ方は、ほとんど日本の貧困層にも妥当するのではないか(多分「ブッシュの湾岸戦争」を「小泉純一郎構造改革」に置き換えれば、後はほぼそのまま国内向けに使えるフレーズであろう)。

こうしたテレビとブランドとナショナリズムの三位一体文化(こんなものを文化というのもはばかられるものがあるが)に過剰にさらされている貧困層の人々は、著者自身の文章にもあるように、テレビで描かれているトレンディドラマの生活ぶりにも、CMや雑誌広告に出てくるブランド物にも、実際にはほとんど手が届かないのが現実である。そんな状況こそが、本書の描き出す「社会的排除と過剰包装」が両立する現代社会の実像なのだ。

さらに、そうした状況に拍車をかけているのが、貧困層の「不可視化」である。実際には今の世の中、膨大な数の低所得労働者がいるのだが、その存在は社会的にはほとんど無視されてきている(もっとも、さすがにここ数年、日本では貧困やワーキングプアなどの問題が顕在化してきたが)。しかし、実際には彼ら低賃金労働者の存在は、社会の維持に不可欠のはずではないか。

ここで個人的にちょっと思い出したのが、ベーシック・インカム論を読んでいた時に目にした、否定派の主張のひとつだ。彼らは、ベーシック・インカムを導入すると「誰もやりたくないような仕事」をやる人がいなくなるから、導入には反対だ、と言っていたように思う。

この主張を読んだとき、私は反射的に強烈な不快感を覚えたのだが、本書を読んでその理由がわかった。本来なら、そうした「汚れ仕事」をやってくださる方々に対してこそ、われわれはしかるべき高い報酬を払うべきなのだ。それを低賃金で一部の人たちに押しつけてしまっていることへの罪悪感が、上の反発のような形で噴き出したのかもしれない。

閑話休題。そういうことで、著者の現状認識をまとめると、実際にはさまざまな形で社会的な排除が行われているにもかかわらず、一方では表向きの価値観が主流文化に取り込まれ、他方では低賃金労働が見えにくくなっていることで、見た目には両者の境界がなくなっているように見えているのが現代社会であることになる。しかし、話はまだここで終わりではない。

問題は、単に経済的な格差のみにあるわけではない。社会の個人主義化が進み、自己実現が叫ばれるなかで、実は深刻なアイデンティティの揺らぎが見られると著者は言う。その解決法として現在行われているのが、他者を劣等視し、さらには「非人間化」することで自己を確認しようという危険な方法である。メディアやポピュリスト政治家がその後押しをし、あるいはあおりたてている(これまた、日本でも痛いほどあてはまる話だ)。

では、その打開策はどうなるか。著者が主張するのは「多様性の政治」。それを著者は「実存的な苦境と物質的利害を社会の大多数の人びとと多く共有するとみなす政治」(p.394)と表現する。

こうして社会の多様性を確保し、「貧困、失業、不確実、不安という物質的剥奪は、共有される経験だという広範な感覚が生じる」(p.397)ようになることこそが、排除型社会と過剰包摂の自己同(ちゃく)を脱する「ひとかけらの希望」である、と著者は言う。確かにその路線自体は、きわめて妥当であるように思われる。問題はその実現のためのロードマップをどのようにデザインするか、ということになるわけだが、そのあたりは残念ながらあまり具体的には論及されていない。まあ、そのあたりはそれぞれの国情や地域の実情に合わせて、それぞれが知恵を絞るべき課題なのかもしれない。

排除型社会―後期近代における犯罪・雇用・差異