自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1137冊目】長沼毅『生命の起源を宇宙に求めて』

生命の起源を宇宙に求めて―パンスペルミアの方舟 (DOJIN選書36)

生命の起源を宇宙に求めて―パンスペルミアの方舟 (DOJIN選書36)

前に読んだ本は宇宙の「はじまり」を論じたものだったが、こちらは生命の「はじまり」を論じた本。どちらもその実態がまだきちんとつかめておらず、いろんな仮説が百花繚乱の分野だけに、論じる方は大変だろうが、読むほうはエキサイティング。

さて、生命の誕生に関する現時点での「通説」は、原始の地球に広がっていた「原始スープの海」から生命の原型が生まれたというもの。それに対して本書は、なんと生命のおおもとは宇宙からやってきたという「パンスペルミア」説を提唱。学会の定説に真っ向から反論していく。

宇宙から生命がやってくるなんていうと、なんだかいかにも「トンデモ本」のように思われそうだが、本書の立論を読むと、むしろきわめてまっとうな科学的推論の上に成り立っている議論であることが分かる。もっとも私自身、この分野についてはまったくの門外漢なので、「地球起源説」と「宇宙起源説」のどちらが正しいのかを判断する能力はないのだが、本書は、少なくともシロート目には「なるほど」とうなずかされる指摘が多かった。

そもそも「地球起源説」にはいろいろとおかしな点がある。生命の誕生期にあたる41億〜38億年前の地球は何度も小天体の衝突を受けており、生まれたばかりの生命に、そんな過酷な状況を耐え抜く力があったとは思えないこと。生命が当初からいきなり複雑で高度な機能を有していたと思われること。生命という複雑な機構がつくられるには、与えられた時間が不自然なほど短いこと……。

そこで著者が提示するのがパンスペルミア説。生命の「胚種」は宇宙から隕石などに包まれて到来し、それが地球上で増殖したというものだ。では、そもそも生命はどこから生まれたのか。この点についてはパンスペルミア説の中でもいろいろあるらしいが、著者は宇宙に飛び交う塵=宇宙塵に蓄積した生命のパーツ(まだこの時点では生命ではない)に、なんらかの「一撃」とそれによる「大跳躍」が起こり、その衝撃でいわば一足飛びに「生命」ができたのではないか、という。ちなみに、生命のパーツとなる複雑有機化合物は、もともと宇宙に偏在している。問題はそれが「生命」という別種の存在になるプロセスなのだ。

実はこうした生命の成り立ちについての仮説は、地球起源説のほうもある程度共有している。問題はそのような偶然の「一撃」が起き、それによってバラバラのパーツが生命という異質な状態(本書によると「ほどよい高励起・非平衡状態」なのだが、内容を説明しているとおおごとになるので省略)になる確率だ。著者はそれを「宝くじ」にたとえている。地球上で生命の発生が起きる可能性は、その期間や広さを考えるとほとんどゼロに等しい(1枚だけ買った宝くじがピンポイントで当選するようなもの)。しかし、宇宙全体ならその確率は飛躍的に広がる。それはほとんど、「全部の宝くじを買い占めたら当たる」ようなものなのである。

つまりは確率論なのだが、宇宙にだってさまざまな原子や分子、その複合体が大量に存在する以上、この仮説はあながち的外れとは思えない。むしろ確率論の立場からいえば、地球発生説より宇宙発生説のほうが妥当であるとさえ言えるだろう。ここでは簡単にまとめてしまったが、本書はそのことを、生命の定義や生命発生に関する議論の歴史、さらには宇宙論エントロピー論まで駆使して、圧倒的な説得力で展開してみせる。

などと著者の主張に沿って説得がましい書き方をしてしまったが、正直なところ、その理論が果たして「正解」なのかどうか、それは実はどうでもよいことだと私は思っている。むしろ重要なのは、こうした一見ドン・キホーテ的とも思える定説への挑戦こそが、科学を発展させてきたという歴史的事実のほうではなかろうか。今後、この説がどんなふうに展開していくか、考えただけでなんだか楽しくなってくる。

付記:数日前、こんなニュースが新聞に載っていた→「隕石からDNAの分子発見 生命「宇宙飛来説」後押し」(日本経済新聞

【ワシントン=共同】南極などで見つかった隕石から、生物のDNA(デオキシリボ核酸)を構成する分子を発見したと、米航空宇宙局(NASAゴダード宇宙センターなどの研究チームが、11日付の米科学アカデミー紀要(電子版)に発表した。
 地球上の生命は、宇宙から飛来した物質が元になって誕生したとする説を後押しする結果だ…(後略)

パンスペルミア説が「定説」になる日は、案外近いのかもしれない。