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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1124冊目】名越康文・甲野善紀『薄氷の踏み方』

薄氷の踏み方

薄氷の踏み方

精神科医と武術研究者の対談……というと、いかにも「異色の取り合わせ」にみえるが、実はこのお二人には共通点がある。

それは、お二人ともが「現場の対応」のプロであるということだ。精神科医というのは、毎日毎日、世の中の標準からするとかなり変わった人々と待ったなしで相対するという職業だし、武術など、存在そのものが現場対応のカタマリのようなものだ。本書にはそんな「現場の知恵」「生きた知恵」のエッセンスが詰まっている。

とはいってもそれは「単なる経験則の積み重ね」というのともちょっと違う。むしろ本書の面白さは、著者のお二方が日々の現場に向き合う中で、安易に経験に寄りかかることなく「これで良いのか」「ほかにないのか」と自らに対して不断に問いを重ね、その中で自身の知恵を常に広げ、深めているという点にあるように思う。

現場というのは、そもそも個々に異なるものだ。だから、個々の現場への対応は、基本的にはその場限りの「個別知」にすぎない。それが困ると言う人は、たいてい「ノウハウ」や「マニュアル」に頼る。だが、たいていのノウハウやマニュアルは、よほどその限界を知ってうまく使わないと、個々の現場には対応できない(それがいわゆる「マニュアル人間」の陥りやすいワナなのだ)。結局、個々の現場への最適な対応をどうすればよいかという問いに対しては、「臨機応変」などという曖昧な答えしか返ってこない。

ところが本書は、その「個別の現場」への対応についての知恵を、かなり掘り下げたところまで明らかにしている。それも、単なるノウハウやマニュアルとして「一般化」するのではなく、「個別の対応をするための基本的な心構えは何か」という点にまで考えを推し進めているのだ。それはまさに「知恵」というしかないものである。

現代のさまざまな問題に個別的にぶつかっていくには、そうした普遍的な「知恵」を自らのものにするしかないのだろうと思う。しかし、知識ではなくそうした「知恵」を示してくれる本はあまり多くない(あるいは、的外れなものばかりである)。本書はそんなレアな存在として、特に仕事や家庭、学校などのそれぞれの現場で悩む方々にお薦めしたい一冊だ。本書には「答え」は書いていない。しかし、答えに通じるドアを開ける「カギ」は、探せば本書のどこかに書いてあるような気がする。

とりあえず、私が読んでいてピンときたところを少しピックアップしておく。もっとも、これは私自身の「現場」や問題意識の関係で反応した部分であるので、読む人が違えばまた違うところにマーキングをするのだろうと思う。念のため。


「『目標が満たされる』ということが、ある意味で人間の命にとって『危機』だということを表しているのだと思いますね」(p.14)


「『気を利かせる』ならば、『場』に対して気を利かせる必要がある」(p.25)


「『家族は崩壊した』というけど、実は崩壊しているのは外側なんです。周囲が全部便利な空間になってしまったのに、内部はやはり不便なまま、不便なままというのは原型のままで残っているということで、逆にそこに僕らが適応できなくなってしまった」(p.63)


「今の『便利』に取り囲まれた状況を打開するには、『結果』と思うものも、実はそれは『過程』である、という空しさの中に自分の身を置いてしまうことしか、おそらくないと思うんですよ」(p.73)


「ただ『やる』と決めて、できるかできないかは関係ない。そうしておくと不思議なもので、人間は多くのことができてしまうものなのです」(p.89)


「だいたい実践の場において『ノウハウ』なんて無いんです。誰もどうすればいいかなんてあらかじめ分からない」(p.105)


「親しくなる人と、親しくなる前に聞いたことの中には、とても大切な言葉が多いんですよね」(p.123)


「頭で考えることには限界がありますが、実際に起こる事実というのは思いもかけないことが起こるものです。身体を通して頭では考えつかないような体験を数多くして、その中からいろいろ情報をフィードバックして、組み合わせる。そうすれば頭もよくなるし、動きもよくなっていくんです」(p.189)


「たとえば恋愛をしているときに、『ステキなんだけど、でもなんか嫌な感じがする。これはなんだろ」と感じるような、近い感覚と遠い感覚がせめぎあっているというような総合的な感性ですね。これがある程度生かせないと、『分からないもの』の中で生きていくのは難しいのかなと思いますね」(p.194〜195)


「『あらゆる自己実現は環境破壊につながっている』という感覚がベーシックな世界観の中に刷り込まれている三〇代にとって、彼らの自己実現は、オタクにしてもニートにしても、基本的に地球を汚さないということなんですよ。『彼らは生産性がない』と言われるけど、『どうしたらベーシックな罪悪感から少しでも解放されるか』という方向に、彼らは無意識的に動いているんだと僕は思うんです」(p.202〜203)


「尊敬というのは、『感情』よりも、もっとその人が生きていること自体と結びついているというか、たとえば自分の内側、心を迷宮のような建物に喩えると、いつの間にかその伽藍の中に、その人の為の一部屋ができてしまっているという感じだと思うんです」(p.218)