自治体職員の読書ノート

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【1118冊目】島田雅彦『悪貨』

悪貨 (100周年書き下ろし)

悪貨 (100周年書き下ろし)

テイストはまぎれもなくエンタメ系なのだが、その中にとてつもない仕掛けがほどこされている。主人公は「貨幣」。

舞台は近未来の日本である。アメリカ経済が破綻し、日本も崖っぷちで踏みとどまっているところに、精巧につくられた偽札があらわれる。発見された偽札は、銀行の偽札鑑定機を潜り抜けるほどの精度だったが、にもかかわらずなぜか同じ番号が印字されている。

その偽札はあるホームレスの手元に忽然とあらわれ、若者によってひったくられ、スナックで散財され、スナックのホステスの給与として支払われ、その父親の借金返済に充てられる。普通の紙幣なら、そのあとも転々と世の中を流通していくところなのだが、返済を受けた銀行で20枚以上の紙幣に同じ番号が打たれていることが発覚したことで、その流通は止まる。

さらにそこに、表向きは宝石店のオーナーでありながら裏では「銭洗い弁天」の異名をとる中国人、張のマネーロンダリングを捜査する美人刑事エリカ、貨幣経済からの脱却を図ろうとする奇妙な集団「彼岸コミューン」が登場し、物語はこの三者の絡み合いのなかで進行していく。そこに隠されていた陰謀はなんと、数百億円単位の偽札を流通させることでハイパーインフレを引き起こし、日本経済を破壊するというものだ。

あらすじだけ書くと荒唐無稽にも思えるが、それがなまなかではないリアリティをもって迫ってくるところが、この小説の恐ろしさだ。貨幣経済というものが本質的に抱えているもろさやあやうさ、政治のリーダーシップ欠如、さらには中国脅威論までが絡み合って、背筋の寒くなるような「もうひとつの現実」が作り上げられていく。その中心となっているのが、偽札というおそるべき「兵器」の存在だ。

それに対抗する原理をもった「彼岸コミューン」の存在もおもしろい。たいていの宗教団体やこうした共同体がカネ集めに血道をあげるのとは逆に、この彼岸コミューンは無利子でメンバーに金を貸し出す。また、「アガペー」という一種の地域通貨を流通させ、グローバリズムと切り離された独自の経済システムをもつ。願わくば、もっとこの「彼岸コミューン」の活動や思想を読みたかった。

エンターテインメントのスピード感をもちながら、どこか日本社会の本質的な部分に切り込んでくるところは、なんとなく村上龍を連想した。だが村上龍に比べると、エンターテインメントとしての「偽装」はこちらのほうが一枚上手のような気がする。ジェットコースターのような展開に引きずられているうちに、あれよあれよと貨幣経済の矛盾や危険性を目の前に突きつけられている。本書で描かれた日本のハイパーインフレや経済破綻も、実際にいつ起きてもおかしくない。

なお本書には「0ルピー紙幣」というものが登場する。実在するのかどうか知らないが、著者の着想だとしたらこれはかなり面白い存在だ。ゼロだから価値をもたず、もちろん利子もつかない。だが通常の支払いのときに一緒に渡すことは可能だ。本書には「貨幣の彼岸」という言葉も出てくるが、その彼岸を突き詰めていくと、この「0ルピー」になるのかもしれない。