自治体職員の読書ノート

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【1108冊目】ポール・オースター『リヴァイアサン』

リヴァイアサン (新潮文庫)

リヴァイアサン (新潮文庫)

引きこまれるように一気に読んだが、さて、ではどういう小説だったのかと聞かれると、なんとも答えづらい。

一人の男が道端で爆死するというショッキングな事件で始まる。その男はサックス。作家である「私」とはひょんなところで知り合い、意気投合した仲だった。そして、男が爆死した真相を「私」は知っている。物語は、「私」がその真相に至るまでのこみいった事情を、サックスとの出会いに立ち戻って説明するという大枠になっている。

まあ、まとめてしまえばそういうことなんだが、その途中に「私」自身の身の回りの出来事や、サックスと「私」をとりまくかなりややこしい女性関係や、さらにはサックスと深い関わりができた変わり者のマリア・ターナーや別の意味でエキセントリックなリリアンなどの人生にまで、いわば枝状に話がどんどん広がり、それらが相互に絡み合っていく。オースター独特の「偶然」を駆使しつつ、奇妙で複雑な人間模様が気がつくと出来上がっており、その中をかいくぐるようにして「私」やサックスの物語は少しずつ進んでいく。

大きな転機になるのは、サックスが森の中で偶然出会ったディマジオという男を不可抗力で殺すあたりだろうか。結局、サックスの人生が大きくねじまがるのは、このディマジオの人生を知り、意識的にか無意識的にか分からないが、その道筋をなぞるような人生を自ら歩み始めるあたりだろうか。

しかし、なぜサックスがディマジオの人生を惹きつけられるようにたどり始めるのか、読んでいる時はなんとなく分かった気になっていても、読み終わってみるとなんだかはっきりしない。というか、全体的に理屈がついているようで、よく考えると突飛だったり、偶発的だったり、気まぐれだったりするモノゴトがずいぶん多いような気がする。それを読んでいる最中にあまり感じさせないのは、オースターの筆力の賜物というべきだろう。

表題のリヴァイアサンは、旧約聖書に登場する怪物の名称であり、トマス・ホッブスの書いた名著のタイトルでもある。ホッブスはこれを一種の国家像として提示した。本書のタイトルもどうやらホッブスの著作がベースになっているらしいが、どのへんが国家論になるのか、これまた分かったようでよくわからない。サックスが最終的に行うこととなった行為は確かに国家との関係において理解できるが、そもそもなぜその行為に及んだか、ということになると、その遠因はディマジオのことであり、あるいはリリアンや娘のマリアや、さらには妻のファニーとのトラブルなど、基本的にはきわめてプライベートなことばかりなのだ。そこが一足飛びに「国家」になるのか、あるいは私には見えないだけで、実際にはサックスの個人的経験と国家的行動がどこかで地続きになっているのか、そのへんもよく見えなかったところだった。

こんなふうに書いていると、いかにもわけのわからない小説みたいであるが、いやいや、これが実際に読んでみると、やめられないほどの牽引力のある話なのだ。いろんな印象的なエピソードがモザイク状に組み合わさり、忘れがたいものがある。問題はたぶん小説ではなく、この小説を語りえない私自身の言葉の限界にあるのだろう。語りえないことについては、沈黙せねばならない。ヴィトゲンシュタインのこの言葉を、どうも私はなかなか守れないようだ。

リヴァイアサン〈1〉 (中公クラシックス)リヴァイアサン〈2〉 (中公クラシックス)