自治体職員の読書ノート

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【1100冊目】深沢七郎『笛吹川』

笛吹川 (講談社文芸文庫)

笛吹川 (講談社文芸文庫)

楢山節考』のときもそうだったが、この人の小説を読むと、言葉が出てこなくなる。

文章は淡々としている……が、この「淡々」がこわい。書かれていることはけっこう悲惨だったり、やりきれないことだったりするのに、それが「淡々」の中に静かにおしこめられ、流れていく。読んでいる時は、その流れの中で読んでいるので、そういった悲惨とかやりきれなさはあまり感じない。だが、本を閉じた瞬間にズシンとくるものがある。それがなんなのか、うまく説明できないのがもどかしい。

時は戦国時代。甲州武田家の領内、笛吹川という川の近くにある「ギッチョン籠」という妙な名の家を中心に、無名の集落の人々の日々を描いている。繰り返しになるが、小説内の時間はするすると流れていく。一人一人の人物を描くというより、そのつながっていく生と死の連鎖が描かれているといったほうがよい。しかもその連鎖は、甲州の土地と骨がらみになっている。小説の言葉が、甲州の土や川から生えてきている感じがする。

会話には甲州の方言がたっぷり含まれている。特に印象的だったのは、子どもを言い表す「ボコ」という言葉。なんだか妙に突き放したようで、妙に愛しげな、不思議な響きを感じた。そして、小説の中で生まれたボコはすぐに大きくなり、そして男のボコたちは「お屋形様」(武田家)のために戦に行き、死んでしまう。「先祖代々、お屋形様のおかげになった」から、と言って。しかし母親のおけいは、それを聞いてこう思うのだ。

「定平もおけいも、お屋形様には先祖代々恨みはあっても恩はないのである。先祖のおじいは殺されたし、女親のミツ一家は皆殺しのようにされてしまい、ノオテンキの半蔵もお屋形様に殺されたようなものである。八代の虎吉もお屋形様に殺されてしまったと同じであるのに、先祖代々お屋形様のお世話になったと云い出したのであるから惣蔵は気でも違ったのではないかと思った」

それが実際の戦国時代の庶民の思いであったかどうかは、よくわからない。むしろ読んでいて気になったのは、太平洋戦争の折、戦時下の人々が思っていたことが、むしろこの両者に投影されているのではなかろうか、ということだった。一方は「天皇陛下のおかげで今の日本はあるのだから」と言って出征する。しかし一方はおけいのような思いを抱き、しかしそれを口にするわけにもいかず沈黙する。本書の初版が刊行された昭和33年は、いまだ戦争の記憶がなまなましい頃であった。それを思うと、そんな余計なことを想像してしまうのである。

のちに深沢七郎は、夢の中という設定ながら、日本の革命と天皇家の殺害を描写する問題作「風流夢譚」を発表、掲載した中央公論社の社長宅を右翼少年が襲って家政婦を殺害するという事件にまで発展した。そのルーツのひとつが、この「笛吹川」にあるのではないか……と言ったら読みすぎだろうか。

いずれにせよ、深沢七郎という作家は、こわい。淡々とした筆致の中に、すさまじい熱量をもったマグマのような情念が込められているような気がする。それが「楢山節考」や「笛吹川」であり、そしてそのエネルギーが間欠泉のように噴き出してしまったのが「風流夢譚」なのかもしれない。ちなみに本書には、なんと作家の町田康による解説がついている。これがまたケッサク解説なので、ぜひあわせて読まれたい。作家ならではのピンポイントの洞察が素晴らしい。