自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1094冊目】羽生善治『大局観』

自慢じゃないが将棋はヘボもよいところだ。だから棋譜をいくら見てもこの人の凄さは分からないのだが、この本を読んでびっくりした。

将棋には「読む」という作業がどうしても出てくる。本書によると、だいたい毎回、平均80程度の選択肢があるという。棋士がやっているのは、その中から瞬時に2〜3手に絞り込み、その先の展開を読み、しかる後に一手を決めると、という作業だ。こうした「読み込む力」は、若い人のほうが強いことが多い。そのため、将棋が単なる「読み」の勝負であれば、若い人の方が有利であることになる。

しかし実際にはそうではない、と著者は言う。年齢が上がれば上がるほど、確かに読みの力は衰える。しかしその分、「大局観」の精度が上がっていくので、若い棋士とも互角に戦えるというのである。

本書のタイトルにもなっているこの「大局観」とは、著者の定義では「具体的な手順を考えるのではなく、文字通り、大局に立って考えること」。つまり、「パッとその局面を見て、今の状況はどうか、どうするべきかを判断する」のが大局観だ。そうすると、逆に「読まない心境」が生まれ、未知の場面でもきちんと対応できるようになる。

本書を読んでまずびっくりしたのがこの「読まない心境」という言葉だ。なにしろ将棋は「読むもの」と思い込んでいたから、その逆を突かれた気分である。もちろん、羽生名人がまったく「読まない」将棋を指しているわけではない。本書にも「読み」についての話はいくらも出てくる。しかし大切なのは、「読み」だけがすべてではない、ということであろう。読みのほかにも「大局観」があり、さらには「運」や「ツキ」があり、「野生のカン」がある。どうやら将棋は、そうしたさまざまな要素がまじりあった総合競技であるらしい。

実生活においても、そうした「大局観」を持ち合わせている人はいる。組織でいうと、課長とか部長といったポジションで「有能」とされている人に多いような気がする。そうした人は、あまり細かい分析はしない。データより、大づかみの理解や直観をたいせつにする。そして大筋で放った決断が、ぴしりと的を得ている。それはおそらく「大局観」のなせる技なのだ。むしろ細かいデータを求める人ほど、情報の迷路に入り込み、右往左往する傾向がある。本書でも、多すぎる選択肢、多すぎる情報量はかえって有害だ、という指摘があるが、うなずける。

それにしても、どうもこの方の書くことを読んでいると、麻雀の桜井章一氏の言葉と通ずるものが多いような気がする。「読まない心境」なんてまさにそうだし、「逆境を楽しむ」「最も悩む局面が最も面白い」「センサー(感覚)が歪んでいる時は、基本の繰り返しが重要」「野生のカン」など、読めば読むほどいろいろ見つかる。桜井氏を誰かが武道の達人にたとえていたが、そうすると羽生名人もまた、ジャンルを超えた「達人」の域に入りつつあるのかもしれない。