自治体職員の読書ノート

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【1087冊目】湯川秀樹『創造への飛躍』

創造への飛躍 (講談社学術文庫)

創造への飛躍 (講談社学術文庫)

もともとは、「思想との対話」というシリーズの一巻として編まれた一冊。それまでに書かれた著者の半生記や思索、世界観などを集めたもので、第1章が著者の人生観や世界観を幅広く語った「開放的世界観」、第2章から第3章が物理学や科学全般への思索を綴り、素粒子論や場の理論といった専門分野への突っ込んだ解説を行った「象徴と創造」「物理的世界」となっており、その後に小松左京との対談がついている。

内容は専門的なものから軽めのエッセイのようなものまで幅広い。中で国際情勢や平和についての思いを綴った部分は、さすがに冷戦真っただ中で書かれたものだけに、今読むと時代を感じた。一方、専門分野である科学、物理学に対するモノの見方や考え方に関する部分は、現代でも通用する要素が多くて面白かった。特に量子力学相対性理論素粒子論などについて、細かい内容となると私の理解をはるかに超えているが、「だいたいどういうものか」というざっくりした説明の部分は、例え方のうまさもあってすっと入ってくる。例えば、こんな感じ。

素粒子が物質の構成要素であると同時に、シンボル的存在であるという事態を簡単明瞭に理解するのには、物理的世界をひとつの大きなホテルと見なすのが便利である。このホテルには、ひじょうにたくさんの、違った広さや構造の部屋がある。ホテルに泊まる人たちが誰々であるかは一切問題にしない。ただある時点において、どの部屋とどの部屋がつまっており、どの部屋とどの部屋があいているかを問題にするということに割り切る。ホテル経営者のこういう考え方は、素粒子の世界についての私たちの考え方に近いのである。」

そして、タイトルに「創造への飛躍」とあるとおり、文字通り飛躍によって大きな創造をおこなってきた著者による「創造観」も、本書ではたっぷりと披露されている。ここでキーポイントとなるのは「同定」(identify)という言葉だ。これは、あるものと別のものの間に類似性や共通性を見出し、そこからその本質をつかむに至る一連の思考プロセスを言う。著者によれば、この同定という作用こそが創造にあたり非常にたいせつになってくるという。

単純な例でいえば、昨日はA君は黒い服を着ていたが、今日は青い服を着ているとする。その時、今目の前にいるA君が昨日会ったA君であると思うことが「同定」だ。そこに起きているのは「感覚」と「記憶」の重なり合いである。何を大げさな、と思われるかもしれないが、では次の例はどうか。

ニュートンは、(これは単なる伝説の類らしいが)リンゴが落ちるのを見て万有引力の法則を着想したとよく言われる。その時起きたことは「リンゴが落ちる」という知覚と「月は落下しない」という知識の重なり合いであった。そこで起きた同定は、きわめて高度の物理学的直観である。しかし、この二つが重なり合うことによって、両者を矛盾なく説明できる概念として、万有引力の法則が着想されたのだ。

したがって、知識は大切であるが、単なるストックとして死蔵されているだけではしょうがない。重要なのは「気づき」が起きることであり、起きた「気づき」と既存の「記憶・知識」が重なり合い、その共通性を見通せたときに、実は両者を共につらぬく世界の本質が見えてくるのだ。

他にもイメージと論理の関連、上に引用した「もの」と「シンボル」の関係など、重要な指摘がたくさん詰まった一冊。中でも印象的だったのは、老子の「道の道とすべきは常の道にあらず、名の名とすべきは常の名にあらず」(道可道非常道 名可名非常名)を物理学の説明の中で引用しているくだりだった。細かい解説は割愛するが、そもそも、物理学と老子の言葉をこういうふうに重ね合わせることのできる科学者が、はたして今の日本にどれくらいおられるであろうか……?