自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1080冊目】藤谷治『船に乗れ! 1〜3』

船に乗れ!〈1〉合奏と協奏

船に乗れ!〈1〉合奏と協奏

船に乗れ!(2) 独奏

船に乗れ!(2) 独奏

船に乗れ! (3)

船に乗れ! (3)

音楽学校に通う高校生を主人公にした青春小説、という程度の予備知識で読み始めたが、いやはや、これは参った。びっくりした。

たいていの小説を読むときには、主人公に感情移入はするものの、どこか距離を置いて読んでいるところがある。主人公の目線と、それを上から俯瞰して見ている「読者の目線」を、両方感じながら読んでいる。だから、それなりにワクワクもドキドキも感動もするものの、本を閉じれば、わりとすぐに現実に戻ることができていた。

ところがこの小説は、のっけから私を引っ張り込んできた。著者がそういう書き方をしているのか、主人公の津島サトルと私の高校時代にシンクロする部分が多すぎるのか(それもある気がする)、読みながらすっかり津島サトルの内部に引きずり込まれ、一緒に笑い、泣き、楽しみ、怒っていた。特に第2巻の後半、サトルがドイツから帰国してからは、本当に本を閉じることができなくなっていた。文字通り息をするのも忘れて読みふけった。実は読み終えてしばらくたった今でも、サトルの感じた胸の痛み、ほろ苦さ、やりきれなさで、こちらの胸の奥がじんじんと痛い。

ここまで距離が取れなくなる読書体験は久しぶりだ。それがちょっと悔しくもあり、また楽しくもあった。本当はもっと、感想として書くべきことがいろいろあるのだろう。音楽と人生。才能とその限界。本書に織り込まれた、ニーチェアレントソクラテスらの哲学の世界。青春と哲学と音楽が混然一体となった小説構成の見事さ。エトセトラ、エトセトラ。でも、そういうことを書く気がしなくなるほど、この「一体感」は衝撃的だった。これが青春小説だというなら、これまで私が読んできた青春小説とは何だったのか。

そして、青春というもの、高校生の日々というものが、当事者にとってはこれほどまでに抜き差しならない、深刻で、人生の深淵に降りてゆくようなものであったことを、久しぶりに思い出した。恋のこととか、自分の才能のこととか、将来への不安のこととか、今となってみればたわいないと思えることばっかりなのだが、当時はそれこそが世界を揺るがす大問題だったのだ。それをたわいないと思えてしまうのは、ひょっとしたら大人になって、世の中を知ったというより、単に感性が鈍麻したということなのかもしれないのだ。そんなことを突き付けられた一冊。